『推し燃ゆ』感想

たまたま通りかかった近所の本屋さんに平積みになっていたのを、うっかり立ち読みで読破してしまった本(本屋さん、関係者のみなさん、ごめんなさい)が、芥川賞受賞と聞いて、ああすごいな、と思った。

宇佐見りんさんの『推し燃ゆ』は、生きづらさのえげつなさが徹底的に胸を刺す。

主人公が推しているアイドルがある事件を起こして炎上してしまうことをベースに、主人公をとりまく世界が描かれる。そもそも「推し」という言葉は新しく、人によって理解も異なるし使い勝手も微妙に固まっていない言葉だと思う。「推し」を知らない人がこの本を読んだらそう簡単には「推し」と言えなくなるかもしれない。だって、命に関わるのだから。推し愛を語るなんて、軽いものじゃない。若い主人公の人生の時間にも、肉体にも腫瘍のように切り離せないものとしての推し。

読んでいて、これが「推し」なの?と思った。なぜそこまで。とも。

それとセットで描かれる、主人公の生きづらさ。人ができることができないつらさ。こんなにも人よりもできないばかりならば、いっそ感じることも人よりもできなくて鈍くて分からなければいいのにそれはできる。できるということと、できないということの差を考えさせられる。

アイドルを推せるくらいなのだから、できないはずがないでしょ。さぼっているか怠けているんでしょう、という対比がそこにある。

主人公の母も姉も父もとりたてて悪い人ではない、主人公とは異なる「普通」の中で生きているだけ。主人公にもそれは分かるのに、なんとか適応しようとしているのに、できない。できないが「正」ならば、それが分からないほうが「悪」なんだとも思う。知っているルールで精いっぱい主人公に向き合って絶望した母と姉。それが「悪」だなんて、気の毒でしかたがないけれど。

誰も幸せではない。後半に出てくる父親の、清々しいまでの自分ルールで判断して結論づける感じ、彼はそれで自分の身を守っていると思うと、やはり辛い。もうちょっとがんばろうよ。

誰も幸せじゃない。けれど、結局、主人公もできないがための、不可抗力だけれども、普通に迎合したくてもできていないのだから、その意味では平等かもしれない。

できないということの辛さは感じることはできるのに、できないことがある。それが「理解してあげましょう」という上から目線ではなく、辛さがえげつなく自分の胸に刺さってくるところが、この本のすごいところ。

お互いを想像力をもって思いやりましょう、の100倍は刺さる。



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