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拙著『顔面漂流記』かもがわ出版 すべてのテキストデータを公開して、有料コンテンツとして…
<Ⅰ>はじめてのあだ名 「子どもが損なわれた容貌をもつ人や、その他のハンディキャップをも…
<Ⅱ> 不治宣告 少年にとって、身体的成長の完了と手術を待つという心理的問題とのバラン…
Ⅲ この顔でどんな仕事ができるのか 最近になるまで、肉体的魅力の重要性について研究する…
Ⅳ 顔にアザのある人生をたどる 私が今後どうなるのか、誰一人はっきりと説明してくれた人…
Ⅴ 迷信と医療の間で揺れる患者 「あなたにはすっかりわかっているの! わかりたくないだ…
Ⅵ 普通の顔とは何か 本当に心をうずかせねばならぬ者があるとすれば、それはむしろ、顔というパスポートなしには人格を認めようとせず、ぼくを生きながら埋葬しかけた、世間の方なのではあるまいか。 『他人の顔』安部公房
Ⅶ 異形を生きた人たち 多数派に身を寄せない存在を敵視し、仲間はずれにしようとする情動…
Ⅷ 埋もれた声を探し出す 沈黙を破るということは、外見をおとしめることなく、外見につい…
Ⅸ 視線に怯えるか、微笑んで受け止めるか 「わたし、ときどき、思うのよ。みんな生まれつ…
Ⅺ 差別の源流をたどる四国遍路 私は、彼らを書く前に、自らを切らねばならなかった。その…
Ⅻ 両親は私をどう見ていたのか 患者さんは、「体」と同時に「心」の問題をかかえているこ…
ⅩⅢ 飯田女子短大授業 97・10・31 テレビカメラの前にどういう顔で出ていくのか? オレ…
エピローグ 顔と顔がめぐり合い、共鳴する 顔にアザのある私が、名前と顔をテレビで公表した。 テレビ放映は97年11月16日の深夜だった。「異形の君へ――顔に痣のある青年の遍路」の視聴率は、同じ時間帯に放送されたワールドカップ・サッカー、日本―イラン戦に食われて(当然といえば当然だが)1・5%にとどまった。それでも関西圏で数十万人が私の顔を見た計算になる。 放送終了から数日間にわたって、仕事場に1日数件のペースで電話と手紙がきた。