慢と無明

アルボムッレ・スマナサーラさんの「心配しないこと」
読んだところで、頭を抱える。いやー、もう生きてるのが嫌になってくるわけ。自分がいかに慢(簡単に言うと、こうしたい、あ〜したい、あーなりたい、っていう欲とか自己中心的な考え)にまみれているか。無明(無知)であるか。もちろん全部表出してたら、監獄行きか精神科で拘束されているか、、、社会生活成り立ってないし。現在、組織の中で色んな人の相談役なんてできていないわけで、おそらく、おそらくですよ!抑えながら社会にいると思うのです。しかも、どちらかというと、理性で生きている風にみられている。
だけどね、嫌いな人はおるわけで、なんか冷たくしちゃったりしてるときもあると思う。あと、アルボムッレ・スマナサーラさんはゴキブリは汚い!カブトムシはかっこいい!っていうのも慢であるとおっしゃるから、もう大変ですよ。理性が正しいのはわかっているし、生きとしいけるもの全て同じですけど、瞬間的に、スリッパで、たたき殺して、南無三!となってしまうのはどうしましょう。
でもね、ことしは、この本のお陰で気づいた事をすこし心に置きながら2024年やっていこうと思うわけ。あまりに腹根神経で動きすぎておる反射的判断や行動をつつしみま、、、つつしみたい。いや!つつしもう!慎むぞ!!!!
そんな自分を律する強い理性がほしい。
阿闍梨様にはなれんので、できる範囲で、自分を穏やかにするために理性を育てましょう。
そんだけ。

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