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対話ー良い対話、私と対話、最近の対話録

手習い塾の第2回があった。
10−12月で全6回。各月・隔週でレクチャー&ワークがあって、3ヶ月連続。
今回は全体の2回目でワークの1回目。
「立ち止まり、心の声に向き合う」というテーマだった。

第2回目の会の流れは、

・チェックイン(ホームグループで)
・「よい対話とは?」5つのポイントを全体へ共有
・「自分を知るための大事な問い」二人組で話す人・聞く&書く人となり、15問15分を交代して2セット。
・今回の手習い塾で自分のテーマにしたいと思っていることを考える
・ブレイクアウト(ホームグループで)
・マイテーマを30文字以内目安にまとめる。(背景も書き添える)
・チェックアウト(ホームグループで)

ちなみに1回目の様子。


今回したこと・学んだこと

1)「よい対話とは」

・なにか大事なことをお互い興味を持って話す
・お互いにより賢くなるために、よく聞き、よく質問する
・結論を急がない
・同意できなくてもいい
・対話を急がない

というシェアがあった。

2)「自分を知るための大事な問い」
続いてフォルケホイスコーレでよく考えるという15問のシンプルでパワフルな質問群。話す方と書く方と。二人三脚のトータル30分、ノンストップでちょっとしたスポーツ、お互いの阿吽の呼吸が大事だった。

ペアになってくださった方は、地元の伝統工芸品(布)を使ったアパレルで起業されたということで。まっすぐでカラッと、お日様のようなエネルギーに溢れていて。チャキチャキと答えていく姿が鮮やかっだった。

晴れの日ばかりでなかっただろう。「失敗も悔しかったことも全部が肥やしになっている」とお話ししてくれた。本質的な問いに、こんなにも端的に答えていくって、きっといろんなことを味わって消化していく時間があったのかもなぁと伺いながら思っていた。

私は、自分が「人生の方向性を示す名言」「人生を存分に生きるために大切なこと」「よい人生とは」として挙げたことに、自分の変化を感じた。

「調子を整えて、流れに敏感でいる」。これは、本で見つけて、20年近く大事にしてきた言葉。でもパッと出たのが「変化を起こすなら、まず自分」だった。あなたが見たいと望む世界の変化に、あなた自身がなりなさい。

大切なことは「自分を知ること」。敵を知り己を知れば百戦危うからず。敵も戦も好まないけれど、一緒に生きる仲間のこと、今生きている環境のこと。知ること、大事。ソロとしての自分を知ること(内観的なもの)ももちろん大切。でも同時に他とのインタラクションを通じて初めて見つかるもの、輪郭の濃くなるものがあるのだと、この半年・1年、たくさんの人から教えてもらった。

ジョハリしかり「自分のことなんて、知ってて当たり前じゃん」というのは幻想だ。知ろうと意識を向けても、なかなか見えなかったりすることもある。「賜に見放されることなかれ」自分の才能/天からの授かり物も、気が付かなければ、磨かなければ、使えない・活かせない。その賜り物が何なのか知って、研鑽することは、当たり前のようで、探すところから冒険だったりもする。

よい人生は「自分を使い切る」。ちょうど講座の日の日中、好きな美術館を訪れた。私は、ここに行くと、いつも友達がいるようで励まされる。「素晴らしいと思う芸術品」という問いもあった。芸術品も素晴らしいと思うのだけれど、私は、存在として実用品ーケの物(道具)と、ハレの物(神具・祭具)が、好きな性分なのだと思う。

ミュージアムショップで偶然手にした小冊子。業界の大御所の、米寿の祝典の挨拶録。「人が人生で一番お世話になる布、働き者の布は、木綿だ」という話で、木綿は最後雑巾になって天寿を全うするという話が出てきた。(今は、アップサイクルという言葉もあるから、必ずしも、これが唯一の道ではないかも知れないけれど!)必要な時に思い出されて、用が済んだら忘れられる。様子や役目を変えてのロングライフ。生き様に憧れる。

話は飛び飛びになるが(今回の手習い塾の自分の目標としては、ちゃんとストラクチャを考えて、文字数を意識して書くことも目標なので、次からそうしたいと思う。)あらためて「よい人生」。高校を卒業する時の目標(人生で成し遂げたいというより憧れ)は、かわいいおばあちゃんだったのだけれど(すごく漠然。でも、それなりにしたい経験とか身に付けたい技能とかはあった)、それも残しつつ、少しでも未来の世代にとって良き存在ー良き行動をし、良き結果・流れを残す人生にできたらいいなと今は思っている。

マイテーマとその背景

「違い」を尊重し「対話」の成立する社会への貢献。というフレーズが出てきました。短くするのが苦手な私が凝縮した23文字。何も考えていなかったので、自分でもちょっと驚きました。

背景として書いた(みなさんにシェアした内容)は、

自分を知り、他者を知ること。個性/違いを尊重して、対話が成立すること。自分の頭で考え、自分の言葉で語れる人を増やせたらいいなぁ、と思います。起点の起点は、自分の個人的な記憶が色濃くあるかもしれませんが、対話の成立する個人が増えることは、社会を強くすると思うから。アプローチ先は、これからの未来を担う子供達はもちろん、今生きている/この先も生きる大人もできるだけ。

「対話」は、個人の気持ちや心の在り方も大切だと思うし、安心安全な場を作るということや、知識や理解、技術でカバー/サポートできたり、底上げできる部分があったりすると思う。日本人で言えば「察する力」が長けているとよく言われるが、最近はその力が「同調圧力」としてばかり発揮されているように感じたりすることもある。みんなの心の恐れや拗ねみたいなものもあるだろうし、素直にのびのび表現できない/する方法を知らないと思う時もある。意思表明の仕方は、ディスる/マウンティングだけではないんだよ、と声をかけたいと思うシーンがあるから。これを今回のマイテーマにしたいと思ったと書いていた。

「人それぞれ、違って当たり前」。違うことは、敵でも、脅威でも、忌むべきものでも、何でもない。私は、こうです。あなたは、そうなんですね。尊重。その点では意見が異なるけれど、別の点では似ていますね。
受け入れ合うだけで済む場合もあるだろうし、折り合いをつける必要がある場合もあるだろうし、難易度はケースバイケースだと思うけれど。そして、意見が違くても、関係が終了してしまうものでもない。
何れにしても、「違う」ことが、アレルギー反応、村八分、傷付け合うものにならないでいてほしい。それは、国や組織/団体/学校等の大き目の単位のものから、家族や友達等の小さな単位まで。
人が二人以上いたら、そこには対話が生まれる可能性がある訳で、それが傷付け合ったり拗れたり決裂したりするものでなく、新しく生み出すものであったらいいと思う。
自分がそれ(誤解)で深い傷を負って、長い間苦しかったから。「対話」できるようになることは、私みたいにして涙を流す人が一人でも減ればいいなぁと思うから。


私の考える「対話」

実は手習い塾の数日前、一緒に学ぶ仲間の一人がテキストをくれた。「Mさんにとって、対話に必要なことは、何だと思いますか?」

へー。急で思いがけなかったので、ちょっとびっくりした。どしたんだろう?でも、せっかく投げてくれて、ちゃんとお答えしたいし、自分も何というか考えたいと思うし、少し時間をくださいとお返事差し上げた。

お返事しなくちゃなぁ、何を書こう・・・と思った時に、あ、塾のレクチャー部分が「対話」だったや。意識外だった。自分のテーマを「対話」にしたんだった。これも想像外だった。

同じレクチャーで同じ「対話」の話を聞いた相手に「対話」についてコメントするって、ハードル上がったなぁと思いつつ、寝て起きたら思いついた。そうだ、私は、人と話す時に(自分が話す、というより、相手の話を聞かせてもらう時に)、タブーがないのかもしれないな。と思った。

都合の悪いことや耳の痛い話をスルーすることもないし、聞いた話に対して自分の意見がないということもあまりない。

目の前の人が、聞かせてくれた話が何であっても、即、拒絶するということは、絶対絶対ないなーと思った。話しを続けるのがどうしてもどうしても辛い内容だったら、「私が」辛いから、今はその話をやめたいとか、考える時間が必要だとか、言うことがあったとしても。あなたはそう思うのですね。「私は」こう思います(共感の場合も、そうでない場合もあるよ)。自他を混ぜこぜにしないで話すのかもしれないな。

「そうは思わない」「驚いた」「そんな風に考えてみたことがなかった」・・・自分の反応はさまざまだとしても、どんな話を持ち込まれても、話題そのものがタブーということは、私にとってないと思う。それは、話を聞かせてくれる相手の安心安全を、一つは担保できているのかもしれないな。

奇しくも、この第二回のテーマ「立ち止まり、心の声に向き合う」。まさに、立ち止まって、自分と自分で対話する良い機会をもらった。感謝。


「対話」にまつわる最近の出来事

ご縁あって、4月から月に2回、新月と満月の晩、対話の会に参加させていただいている。
すごく意識していた訳ではないけれど、少なくとも月に2回は、各回のテーマに沿った対話をしてきたことは事実だし、対話について考えてもいたのかもしれない。

愛聴しているPodcastでも、ちょうど対話がテーマになっていた。

対話は二人(以上)でする瞑想。
ダイアログはコレクティブメディテーション。

だって。ふむふむ。2つは同じようなことだけれど、漢字と横文字で自分が受け取る印象が違ったので、両方載せておく。

あぁ、偶然が重なって、対話を軸にしたスペースにも足を運んだのだった。
隣の席は四人の女性だった。元気におしゃべり。
彼女たちの去り際、言葉を交わすきっかけがあった。
3人が85歳で、杖とカートを持った女性が最年長で92歳だって。
もっとお話ししたかったなぁ。また行き会える日を楽しみにしている。

傘寿の近い女性ともおしゃべり。思いがけず、学校の大先輩との出会い。
お茶を飲みながら、時々お庭に目をやりながら、ご自身の来し方や最近のことを行きつ戻りつ。
こんな風に、いろんな話を聞かせていただけるって、ありがたいし幸せだ。

不思議だけれど、自分の中に、対話の波が寄せている感じの日々だ。
そして、卵が先か、鶏が先か。
この先しばらく問い続けたいと思う、対話の軸・場、の輪郭がぼんやりと見えてきたように思っている。ゆっくり急ぎたい。

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