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2002 さかなどり1

さかなどり

 南の果てに住んでいるさかなどりのお話です。
 さかなどりはもともと空も海も飛べる鳥でした。ほかの鳥は、海のなかも飛べるなんて欲張りだといってさかなどりを苛めました。
 さかなどりはやがて白くて寒い地の果てに住むようになりました。
 地の果てはあまりにも寒いところだったので、さかなどりしか住んでいませんでした。
 さかなどりはだんだん空を飛ぶことを忘れていきました。身体にたっぷりと脂をまとったほうが寒くないと気づいたからです。
 こうしてさかなどりは海のなかだけを飛ぶ鳥になりました。

 若いさかなどりは、黒い羽で水をかいて海を泳ぎながら思いました。
 ぼくはどうして海のなかにいると苦しくなるんだろう。
 さかなどりは陸よりも暖かい海のほうが好きでした。しかし、さかなどりは魚ではありませんから、それは仕方がないことでした。最近のさかなどりは自分が空を飛べたことを知らないと、老いたさかなどりが嘆いていました。

 さかなどりはともだちといっしょに北の果ての岬へ遊びに行きました。
 その岬は、行ってはならないと大人たちに言われていたところでした。が、さかなどりは北の果てが見たかったので、ともだちを言いくるめて遊びに来たのです。
 ふたりはこの年に生まれた子供でした。子供の灰色の産毛は、黒と白のつややかな大人の羽毛に変わりかけています。
 北の果ては切り立った崖になっていました。波際の氷は窪んでいます。窪みに青い陰が落ちて、波の泡を水色に染めていました。
 北の果てはさかなどりの憧れの場所でした。暖かい海風が吹いてくる、日の光が巡る方向です。
 氷の裂ける音が空気をふるわせます。砕けた氷が激しく水に打ちつける音が響き渡りました。
 ゆっくりと、氷の地面が滑り出します。氷床が裂けてしまったのです。
 さかなどりは必死で氷の上を滑って陸へ戻ろうとしました。が、すでに氷山は陸から離れていて、ふたりは大きな氷山のてっぺんに取り残されてしまいました。
 さかなどりは陸へ向かって声の限りに叫びました。仲間たちが海からふたりに呼びかけています。が、氷山が高すぎて、海へ降りていくことができません。ふたりは不安に涙を浮かべながら、陸が水平線に消え去るまで眺めていました。
「食べるものがないね」
 ともだちがこわごわと黒い海を見下ろして言いました。
「氷が溶けたら海に潜れるようになるよ」
 さかなどりがともだちを慰めました。
 さかなどりは、しばらくものを食べなくても死ぬことはありません。冬に備えて、さかなどりは脂を十分にまとっていました。ふたりにとってそれがほんのすこしの慰めでした。
 海へ突き刺さるように潜って魚を捕っているほそながい鳥を、ともだちは羨ましそうに見ています。
「ぼくたちも海に潜りたいなあ。あんな鳥よりもずっとじょうずに魚を捕ってみせるのに」
 その呟きを聞いたほそながい鳥は、氷山へ降り立ちました。
「あんたたちも飛べばいいじゃない」
 ほそながい鳥が笑いました。
「身体が重くて飛べないんだ」
 さかなどりは言いました。
「ぼくたちのために魚を捕ってきてくれないか」
「何であんたたちのために」
 ほそながい鳥は呆れたように首を傾けました。
「これからあたしは長い長い旅に出るんだから、あんたたちに付き合ってる暇はないよ」
 ほそながい鳥は白っぽい金色の空へ舞い上がっていきました。
「性悪なやつ」
 ともだちは目を三角にして文句を言いました。
 このときばかりは、海に憧れていたさかなどりも空を飛びたいと思いました。

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