偶然でも、運命でも
唐突だが今日私は、放尿しているおじさんを見た。
そしてその放尿現場は、おそらくそのおじさんの自宅の庭であっただろうことをまずお知らせしておく。
運転中、赤信号で停車した。
何気なく右を向いたら、民家からおじさんがタバコをくわえて出てきた。
その様子をぼーっと眺めていたら、おじさんがズボンのチャックあたりに手をかけた。そしてそのまま庭の花壇の方を向いて微動だにしない。
…まさかね?
日も暮れているためよく見えない。
あとすこし前進させれば、街灯の照らし具合で詳しいことがわかるかもしれない。
どうする?進むか?
おじさんと目が合った。
「お前は俺の放尿シーンを見たいのか」
「違う、放尿なんて見たいんじゃない、
私はただおじさんが放尿しているのかどうか、真実を確かめたいだけ」
目と目が合ったあの瞬間、私とおじさんの間でこんな会話が成立したと思っている。
決定的瞬間は間もなくやってきた。
おじさんが体を振ったのだ。
決まりだ。
確定。
もう、そういうことでいいだろう。
おじさんばいばい、私はもう車を発進させるよ。
道中、頭の中はおじさんでいっぱいになった。
あの家は、おじさんの自宅だろうか。
誰かの家だったとして、外にタバコを吸いに行って、冷気が尿意を誘ったのか。もしくは家主に対して何か気に入らないことがあったのか。
しかしながらリスキーだろう、誰かの家の庭で放尿だなんて。
仲が良くても絶縁ものだし、仲が悪けりゃ警察沙汰だ。
だから、あの家はおじさんの家だと仮定する。
いつも夕飯前に、タバコを吸いに庭に出るのではないだろうか。
問題はそこから。
毎日花壇で放尿するのか、たまたまだったのか。
それにしてもその家は大通りに面していて車の往来も多いところだ。
さらに、家の真ん前にはアパートがある。
絶対に人に見つかるのに、どうしてそこでするのだろうか。
下手したら、通報、拡散もあり得る。
家のトイレが故障しているとか?
いやいや、そんなの理由にならないだろう…
部屋の明かりが複数点いていたので家族がいることを推定すると、
独居であるが故の奔放ではない気がするし、
痴呆というにはまだ若そうな50〜60代の割としゃきっとしてそうなおじさんだ。
そもそも、あの花壇はにおわないのだろうか。
あの家にやってくる客人、宅配便のドライバーや郵便屋さん、関わる人みんなみんな、おじさんがまさか綺麗な花たちが植わっているその花壇に放尿しているなんて考えもしないだろう。
家族だって知らない事実かもしれない。
その花壇の手入れをしているのがおじさんではないとしたら、なんとも気の毒だ。…待てよ、それが目的か?花壇の手入れをしている者に対しての日頃の恨みによる犯行か。
なんにせよ、私は素性も知らない、これからも関わることのないおじさんの放尿時に居合わせた。
「その花壇に触ってはいけない」
おじさんを知る人にこの事実を知らせることもできずに、
そっと胸に留めるのだ。
目と目が合って、おじさんとテレパシーを交わしたあのときに、秘密を共有してしまったのだ。「知り得た事柄について一切他言いたしません」と誓約書に判を押したような気持ちだ。ううん、押した。だっておしゃべりな私が、誰にも「あの家だよ」と教えていないのだからね。
私はおじさんのなんだというのか。
なんて役まわりだろうか。
神はどうして、私をおじさんの放尿に立ち会わせたのか。
でも全部どうだっていい。
「日暮れ前だったらよかったのに」
いかようにも取れるこの言葉を残してこのおはなしはおしまいにする。