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命の閉じ方と共に生き方を考えられる本


自分の命の期限を知りたいか?
この本を読んでいる間、悲しみや幸福や切なさなど色々な感情が入り乱れたが、ずっと自問自答していたのがこの問いだった。その結果私は「知りたくない」という答えに至った。

【エンド・オブ・ライフ】この本を手に取ったのは、テレビで紹介されていたり本屋大賞にも選ばれていて気になったのはもちろん、何より私にとって命というテーマはもはや私の人生において切り離せないテーマになっているからだ。

命の期限いわゆる余命を、あと3か月と言われようが1年と言われようが、5年と言われようが、多分私は最後の最後まであがいてしまう。「思ったより長そうで良かった」とはおそらく思えないと思う。この世界との別れ、大切な人との別れにその瞬間まで後ろ髪を引かれて悲しくなるのだと思う。

でも、なるべくなら穏やかに、人生に納得して命を閉じたいなと思う。そのために毎日をどう生きるか、それを考えさせてくれる本だった気がする。命の閉じ方のレッスンではあるけれど、私にとっては生き方のレッスンでもあった。

この本は闘病やそれを支える医療や介護を扱っているけれど、それにこだわらずどんな人でも読み終わった後にはきっと得るものがある気がする。死との向き合い方は命との向き合い方につながり、それは自然と生との向き合い方につながる。きっとこの本を読んだあと、毎日の生き方が少し変わると思う。

それなりにボリュームのある本だけど、ノンフィクションでひとつひとつの話が短編の物語のようになっていてとても読みやすいし、何より著者の佐々さんの文章はとてもわかりやすかった。悲しいシーンもたくさんあるし、泣きながら読むこともあったけど、読み終わった後は幸せな気持ちに包まれる不思議な感覚の本だった。

この本が与えてくれた幸せな気持ちについても少し触れたい。

10年前、私はこの世で最も愛していた母を30歳の時に突然失った。私の人生観はこの出来事から大きく影響を受けているので、少し本の内容からは逸れてしまうけど書いておきたい。

本の終盤にこのような一節がある。私がこの本を読んで、最も共感し、最も救われた一節だ。

亡くなりゆく人は、遺される人の人生に影響を与える。彼らは、我々の人生が有限であることを教え、どう生きるべきなのかを考えさせてくれる。死は、遺された者へ幸福に生きるためのヒントを与える。亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。

私の母は幸福を置いていってくれた。ものすごい悲しみと共に。
私の母は闘病の末に亡くなったのではなく、脳梗塞で亡くなった。それは、もう、本当に、とてつもなく、突然の別れだった。

朝行ってきますと言った人がそのまま帰らぬ人となる。そんなドラマのような経験をしたのはちょうど10年前の12月。とてもとても寒い日だった。私は実家を出て関東に住んでいた。知らない番号から携帯に着信が残っていた。普段なら知らない番号に掛けなおすことは絶対にしないのだけど、地元の市外局番だったこともありなんとなく気になって掛けなおした。すると電話が繋がった先は病院だった。

「電話をもらったようなのですが」
「こちら××病院ですが〇〇さんですか?」
「はい、そうです」
「今救急車で〇〇さん(母の名前)という方が運ばれてきました。意識がない状態なので電話の履歴からをこの連絡先を見つけてお電話をさせてもらいました」
「え?母は大丈夫なんですか?」
「いえ、意識がない状態なので病院に来ていただきたく電話しました。失礼ですが〇〇さんとのご関係は?」
「娘です。でも今△△県でもう電車がないので明日の朝しか向かえません。父はそこにいるんですか?」
「はい、います。代わりますね。」

父に始発で帰るから明日の朝まで待ってほしいと懇願したけれど、心臓マッサージをかれこれ30分以上されている母の肋骨はもうボロボロだったそうだ。これ以上見ていられないと言葉を詰まらせる父の気持ちを考えるとそれ以上は望めず、母の蘇生処置はストップされた。

そして母はそのまま旅立った。
2日前の私の誕生日に「お誕生日おめでとう」の一言のメールが私と母の最後だった。私たちはとても仲の良い家族だった。

夜通し泣いて腫れた目をサングラスで隠し、翌日始発の新幹線で帰省した私は寝ているように布団に横たわる母を見てまた泣いた。冷たい母に触れたら一気に死が現実になってしまうことが怖くて、私はその母に最期まで触れることができなかった。

前日の仕事からの帰り道、脳卒中でパタっと倒れたそうだ。犬の散歩の人が見つけて119番をしてくれたらしい。家まであと10メートルぐらいだったそうだ。

その日は本当に本当に寒い日だった。そのため乗ってきたバスと外気との気温差で脳卒中になったのかもしれないと聞いた。そして不幸にもその日母はいつもと違うルートのバスに乗り、いつもならバス停から1分程度で家に着くところを、その日は10分ほど先のバス停で降りた。家まであと10メートル。いつものバスを利用していたらとっくに家に着いていたと思われると、父も私もあまりに悲しくてまた泣いた。

こんなに人って簡単に死ぬんだと思った。

本の中に、がん宣告を受けた旦那さんをもつ女性のこんな言葉の一節もある。

私、ソーシャルワーカーの仕事をしてきて、たくさんのお別れの経験をしたんです。死んでいく人は、自分だけでなくみんなにとって一番いい日を選びます。それだけは信じているんですよ。それで一日だけある晴れの日を見て、ああ、この日に逝くのだと思いました。

死にゆく人は一番良い日を選ぶ。
それは私も本当にそう思う。母が亡くなった時、私はちょうど勤めていた会社を辞めたばかりで、しばらく実家で過ごすことができた。私も弟も関東に引っ越していて、父をひとりにさせるわけにはいかなと思ったのだろう。

遺された家族で唯一の女性の私は父と弟に寄り添い、また支えてもらった。そんな実家で過ごす時間の中で、私は家族の絆を感じ、あたりまえの日々に感謝するようになった。

この本の中には、亡くなる人は遺される人にプレゼントをしていく、というシーンが何度か出てくる。物質的なことではなく精神的なことである。

私が母からもらった最大のギフトは、家族の絆とあたりまえの日々にこそ感謝する気持ちだった。

家族の絆、言葉にすると軽い感じになってしまうけど、もともと仲の良かった私の家族は、遺された3人でより魂に近いところで繋がった気がした。
私たち3人は、友達や恋人では絶対に埋められない部分をお互いにゆっくり埋めていき傷を癒していった。何をするわけでもなく、ただ一緒にいるということが大事だった。好き嫌いとか、大事とか大事じゃないとか、信頼できる信頼できないとか、そういう言葉では表現できない関係が家族なのだと知り、半ば驚いたものだ。

そしてあたりまえがどれほど幸せなことかを私は母を失って知った。いつどんなことが起こるかわからないということも、現実として理解できるようになった。それは私の人生観に大きな影響を与え、あたりまえの日々に感謝できることで人生は少し豊かになったように思う。

家族の絆とあたりまえの日々の尊さ。
これらを母の死をもって私は自分のものにしたと思う。それはすごく悲しいことだった。この本を読むまでは。それまで私にとって、母の死は本当にただの悲しすぎる出来事でしかなかった。でもこの本を読んで、母は私にものすごいギフトを与えてくれたのだ、そしてそれは母の意思なんだと思ったら、なんだかすごく幸せな気持ちになった。

そのギフトは私の中で根付いて、きっと私の子供たちにも伝わっていくと思う。それは母がずっとそばに寄り添ってくれているということなのだともう。

私は自分の命の期限は知りたくない。
でも1日1日を大事に生きたいと思う。



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