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日記のような、びぼーろくのような(2022.12.21京都大原野のなんでもない日常)

NPO法人 京都発・竹・流域環境ネットと付き合いを始めてもう10年以上になる。
生命のもととなる海を豊饒に保ち、私たちの子ども達、私たちの未来のためにこの財産を当たり前に残すための一翼を担うことが出来るようになろう、とスタートして京都府下、南部からスタートし、北部の宮津、舞鶴、そして京都市内の嵯峨嵐山、大原野と活動の拠点は移って来た。

放置竹林なんて言葉が出てきてそれほど時間は経っていないと思う。私たちが子どもの頃、ほんの40年、50年ほど前には「サオや~、青ダケ!」というアナウンスと共に洗濯用の竹の物干し竿を売り歩く業者がいた。そして竹は工芸品としてではなく生活必需品としてカゴとなり、ザルとなって私たちの実の回りに必ずあった。私が長く生きて来た建設業界にも竹は必需品であった。ひと昔前の日本家屋の壁は土壁であった。気温の寒暖が激しく、梅雨のような湿潤な気候もある日本に土壁は適している。室内の温度と湿度を定範囲で快適な状態を保ってくれるのである。その土壁の土を支える骨となっていたのが竹であった。当たり前に竹は私たちの身の回りにあったのである。

それがどうであろう、気がつけば多くは石油由来の化学製品に取って代わり、私たちはその中で便利を当たり前としつつ未来に積み残す問題を考えずにここまで来てしまった。自然環境の破壊が叫ばれ、CO2の増大による地球温暖化と騒ぎ出しながらも、今なおそれを対岸の火事のごとくテレビの前でお茶を飲みながら目にしているのではないだろうか。

NPOの活動の主となる骨は太いが、普段からそんなことばかり考えているわけではない。毎週来るこの事務所にはいつも当たり前の日常がある。それも少し前の当たり前の日常があるのである。地域の方たちが集い竹林の整備を行い、竹の加工を行い、お茶を飲み、茶菓子を食べていつも笑いと歓談が絶えることが無い。

今は無くなりつつあるそんな日常は高齢者やその予備軍である私たちに元気を与える。健康健全な高齢者たちと相談し地域の新しい特産を考える。いずれはこの地域には健康な長寿者が増えて活性化されたエリアとなるであろう。小さな歩みではあるが今の日本社会の問題解決に寄与するであろう。
そのための全ては『当たり前の日常』作りなのではないかと最近思うのである。


嵯峨嵐山での整備、今週、日本経済新聞社とテレビ大阪の取材があります。
お昼が近づき作業を終えた元気なおじいちゃんたちが集まり始めました。
笑う門松、たくさん売れました。誰でしょうね、一番笑ってるのは、、、
竹割りもおばちゃん達の仕事、ハンマーで叩いた後、エイヤ~!
バラバラバラ~~
理事長、仕事をしているフリが上手です
「もらった柿が甘くて美味かった」と言ったらおばちゃんとっておきの最後の四個をどこからか出してきました。もちろん私のカバンにポイ!
京都大原野は冬になっていました。私は今日が最終日でした。 皆さん一年おつかれさまでした、来年もよろしくお願いします!
いつものように遅い昼メシ、帰って死んだように寝ました。

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