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日記のような、びぼーろくのような(2023.3.08 京都大原野の春のおとずれ)

毎週のルーチンである。
朝、仕事を終えて京都大原野にある放置竹林整備のNPO事務所に向かう。
ほんの二週間前に手袋をして、ジャンパーのチャックを顎まで上げて自転車を走らせたのが嘘のようであった。
京都西山、大原野の里にも遠慮がちではあるが春は足を運んでいた。
途中洛西ニュータウンを抜けるが、街の歴史とともに歩んで来た年老いた街路の桜の芽はあと一押し、背を押してくれる誰かの登場を待ちわびているようであった。
そんな中にいつも気になる一棟がある。

昭和40年代に住んだ豊川の社宅のたたずまいに似ているのだ。両親と兄、私の四人は2DKの父のいた会社の社宅で暮した。
小学四年、母はすでに市民病院の看護師として働き出していた。先の見えぬ兄の治療費稼ぎに必死だったと思う。
いつも午後の社宅に帰ると兄は先に帰って本を読んでいた。私が電気をつけて、テレビのスイッチも入れた。この頃この時間に洋画劇場をやっていた。題名も憶えていないのだがフランスやイタリアの恋愛映画をよくやっていたように思う。兄と二人で膝を抱え深い意味も分からずに黙ってテレビの画面に引き込まれていた。今考えればとても不思議な時間だった。二度と帰ってくることのないあの時間とあの狭くて薄暗いが温かだった空間が私の今を形成しているのだと思う。いつもこのアパートの前を通り過ぎる時に思い出している。こんな瞬間が私の心のバランスを調整する時間かも知れない。

事務所で理事長と来年度の打合せ。理事長の人望・人徳で多くの人が集まり同時に多くのことが動き出している。理事長の欲の無さが人の縁を広げて強い絆を作っている。しかし過去には失敗もあった。偽発明家につかまり、毎晩祇園の高級クラブに入り浸っていたこともある。バクテリアによる海水の淡水化を行うということだった。これには非常に疑問を感じこの偽科学者の東京の自宅と研究所という名の倉庫まで調べに行ったことがある。時々興信所の調査のような事も理事長に内緒でやっていた。結果、この偽科学者とは別れたのだが油分を食うバクテリアは有用で調理場にあるグリストラップの油分分解にレストラン、食堂で長く使ってもらった。

一貫して続けてるのはすべて環境である。本当の行政マンとしての生き方が身体の芯にまで染みついているのだろうと思う。と、言いながら現役時代のある時期に京都駅までJRで30分の職場から毎晩広島のクラブに通い、最終の新幹線で祇園に戻ってくるという破天荒な方でもあった。
公私の住み分けは見習いたくなるほどきちんとされた方であった。

少し大きな動きが出て来る。大きな行政とともに歩調を合わせての事業である。しかし、一番はこの大原野地区の放置竹林の整備と活性化である。京都市と地場野菜を育てていくことも大切な柱の一つなのである。ご多分に漏れず過疎化の進むこの地域の高齢者に忘れ去られつつある山や畑の知恵を伝えてもらわなければならない。それによってここの高齢者に生きがいと楽しみを持ってもらわなければならない。
少し暑くなってきた事務所前でのたき火のまわりに集まって来る高齢者の笑顔の数を減らしてはならないのである。

大阪に戻ってまったく関係のないことでの打ち合わせ、遅い昼メシを済ませ自宅に戻った。昨日家を出てちょうど24時間経っていた。


この季節のシンコ、まだ走りのイカナゴの釜揚げです。関西で春を感じる一品です。
こちらもこの季節のシンコ、お新香ですね。
春キャベツのお新香、『魔法の粉』がセットなのがいいですね。


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