見出し画像

冬の寒さが思い出させる

こんな寒い夜に思い出す。いろんな事を思い出す。

以前の近鉄線の座席下のヒーターがよく効いた。これがかなりのクセ者であった。
酒でも飲まぬ限り寝過ごす事などないのだが、当時は毎晩酒を飲んで帰っていた。これでもかこれでもか、くらい飲んでいた。寝過ごすのは決まって冬であった。
座れることのない通勤列車も魔が刺すかのように座れる時があった。
そんな時にいつも事件は起きた。

当時三重県方面に向かう近鉄線沿いに住んでいた。
たらふく飲んできたのに終電までに時間があり、鶴橋の立ち飲みでさらにメートルを上げた。時間に合わせて切り上げて最終電車に乗ったのだが、20分ほどだから立って帰ればいいのに、そんな時に限って席は空いていた。そして、座ったばかりに奈良県内の最寄駅から遠く離れた三重県に入った駅で起こされた。

帰りの電車はなくタクシーを見つけるかと改札を抜け、ロータリーの横断歩道でタクシーに跳ね飛ばされた。前方不注意の運転手曰く、「こんな時間に人がいるとは思わなかった」と。
私は即座に「その前に言うことがあるだろう。謝れ!」とポカリ。
奈良の自宅までは料金無しで送り届けてくれた。

こんな寒い夜、思い出せばこんな事はキリは無い。

座席に潜むヒーターの危険性は知り尽くしている。
そんな座席ヒーターの尻の熱さの思い出は、私に色んなことを思い出させる。でもこんな寒い夜の座席ヒーターの温かさほど心地良いものはない。
布団に入れる猫の暖かさに匹敵するかもしれない。



昼間、愛猫ブウニャンは私のベッドでずっと寝ていました。

年老いた猫は陽の当たる暖かな部屋で眠り続けます。
母のいた愛知のグループホームを思い出します。
陽のよく当たる暖かな部屋で眠り続ける母のその横に小机を持ってきて、二人の伯母に定期便を書きました。
きっと私と兄が子どもの頃、母は私たちの横でいつも手紙や日記を書いていたに違いないと思いながら書きました。

ブウニャンの寝姿を見ながら私が子どもの頃の母と、母の優しさを思い出します。
きっと今私がしているように母も私たちの寝顔をながめていたのでしょう。
それは母の幸せの確認であり、明日から生きる活力になったのでしょう。
子を持つ母親の明日への活力、生きるための活力は子どもの寝顔なのではないでしょうか。

こんな冬の寒さは私にいろいろな事を思い出させます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?