見出し画像

怖いと思ったこと その6 『雨を憶えている皮膚の記憶』

近年の降れば大雨、吹けば大風、自然災害とは言えどもこの国はいつからこんなに異常な気象を受け入れなければならなくなってしまったのかと思う。

私は大雨や台風が来るといつもゼネコン時代の現場での仕事を思い出す。

京都の南部の京田辺市、当時の綴喜郡田辺町に上場電機メーカーの社員研修施設を建設した。

会社は優良得意先の設計施工の物件で強力に力を入れていた。
夏の終わりに竣工した。
バブル期のどこも人手の足らない時代、建築職員は一人、また一人と京都各地の現場に散っていった。

最後は所長と事務職の私だけ、その後に二期工事を控えていて大事にしなければならない時期でもあった。

そのうち、残工事を残したまま所長もいなくなった。
事務職の私が現場責任者のようなものであった。
実はその頃、出張所の建築責任者に事務屋から建築屋に変わらないかと声をかけられていた。
事務の仕事に面白みは感じる事はなく、それもありかなと考えていた。
そんなところに台風はやって来た。
二期工事を控える用地は高台にあり、その下には住宅地が広がっている。

建設用地のために木々を伐採し、木片は転がり、そこにあった建物の解体後の残材も少なからず残っていた。
それを降り出した雨の中、一人で片付けたのである。
ずぶ濡れになって片付けた。
なぜ応援を求めなかったのか、求めても人がいなかったのかは記憶に定かではない。
大雨の中を長靴の中まで水浸しになって一人片付けをしたことだけを覚えている。
顔を打ち続ける雨粒が痛かったのを憶えている。

もう30年以上も前のことである。
既成概念に捉われないおおらかな会社であった。
建築屋にも魅力を感じたが、それから程なく出張所の建築責任者とはケンカをして、私は踏ん切りをつけて営業の世界に飛び込んだ。

『れば』や『たら』は考えても意味のない事である。
過ぎ去った過去であり、小説を読んでいるようなものである。
初めての会社ではいろんな経験をさせてもらった。
その後、たぶん他の人間よりも多くの会社で飯を食い今に至っている。

大雨や台風が来るたびにその時のことを思い出すのはなぜだろうか。
たぶん、生まれて初めて過ごした恐怖の一夜だったからだと思う。
それ以外は何も無いと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?