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スタバという場所

なんとなく私には場違いのような気がしていたこのスタバに時々行く。
まだネクタイを首からぶら下げていた頃には普通の喫茶店、いわゆる街の喫茶店で時間を過ごすことが多かった。

当時はまだパソコンなど普及する以前のこと、仕事の書類を持ち込み作業に集中した。
まだケータイも無い、ポケベルはいつも机の引き出しの中だった。
会社では電話は鳴るわ、上司に呼びつけられる、夕の酒飲みの誘いに来る奴や、とにかく集中は持続できなかった。
それで脱出した。

個人の喫茶店では店主に遠慮もある。
たとえコーヒーのお代わりをしても限界がある。
だからドトールが登場した時には嬉しかった。
京都営業所での営業時代、自宅のあった奈良から早い時間の電車に乗って四条川端にある東華菜館の西隣のドトールで考え事をした。
ほぼ毎朝二日酔いの頭にスタートをかけた。
でも、書類を広げるにはテーブルもカウンターもこじんまりし過ぎていた。

そして、スタバの降臨であった。
広いカウンターに書類を広げ、そのうちパソコンを持ち込むようにもなり私の第二オフィスと化していった。

ところで大阪人は固有名詞を独特な省略語で表現する。
マクドナルドをマクド、ミスタードーナツをミスド、モスバにトリキ、USJはユニバなのである。
永遠のエセ大阪人である私にはいつまでも違和感の残る呼び方なのである。
しかし、このスタバに限っては『スタバ』で馴染んでしまった。

今は近鉄八尾駅近くのスタバに時々行く。
以前ほどの忙しさは無くなり、ハガキを書きながら、考え事をし、そっとお客さんの観察をする。
私よりも年上の方が増えてきたように思う。
でも考えてみれば当たり前のこと、スタバが日本上陸して四半世紀が過ぎている。
スターバックスならぬ日本の『スタバ』の齢の重ねとともに私たちも歳を取ったということである。

病身の両親がこの世からいなくなり、障害を持つ兄は人の力を借りながら施設で一人生活をするようになり、長い血の呪縛から解き放たれた直後には男としてのいろんなタイミングを失ってしまったと思っていた。

しかし、今はこれでいい。
日々に自分の時間がやって来た。
日々に自分の時間を享受できるようになったことに喜びを感じる。

百歳まで生きようとは思わない。
残された時間の幾らかをこのスタバと共有していくのだろうと思う。

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