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酒を飲み考えていること

この男、よく酒を飲む男である。
しかしながら以前からただ酒を飲む男ではなかった。
まわりの話をよく聞く。
厨房の店員の動きや板場の調理人の手さばきを見る。
酒を味わい、料理を楽しみ、季節の移ろいを感じながら人生の縮図を感じとって酒を飲むのであった。

昨日も飲みながらいろいろ考えていた。
この男の付き合いは濃い、とことん付き合う。
だから、裏切られることも少なくはなかった。
無駄に時間を過ごしてしまったことに悔いてはいたのだろうが、裏切ったわけではないからそれでよかったと頭のなかを整理するようであった。

もともとの脳の構造からして違う。
生まれも育ちも、生きて来た経験も違う。
共感しているようで、うわべだけの取り繕いが多くて当たり前なのである。

人間の表層の下には必ず狡さが隠れている。

そんな簡単なことにしっくり出来るようになるのにずい分時間がかかってしまったっと思っている。

気が付けば気を許すことの出来る友は一人、また一人とこの世を去っていった。
今まで出会った人間、ある程度はお互いを理解し合えた人間の去った数が今生きている友の数を上回ったように思っている。
普通の人間ならば年齢とともに行動の範囲は狭くなり、それとともに付き合いの数は減少するのであるから当然のことなのかも知れない。
先輩、年上との付き合いが多かったから尚更のことなのかも知れない。
自身で経験できなかった事は先輩、年上の話を聞くことが一番手っ取り早く、それを頭のなかにたくさん詰め込み、いつも想定外の事件や事故に近いことに対処して来た。
歴史を学ぶことと同じであろう。
応用するための基礎を頭に詰め込んできたようなものであった。

語弊はあるが『きちがい』と社内で呼ばれる営業部長にゼネコン時代三年間ほど仕えさせられた。
誰もが嫌がり、それを理由に会社を辞めた人間もいたほどであった。
後に会社に見切りを付けて辞めてしまったこの男だが、この時ばかりは反骨心で三年間我慢した。

そして、とうの昔に辞めてしまったゼネコンであったが、実はほんの少し前までこの部長と付き合いをしていた。
そんな性格の営業部長は会社では表面的なちやほやとするおだての中で楽しく過ごしていたのだろうが、辞めてしまえば会社の縁は瞬時に切れ、近所付き合いも趣味も無い、この営業部長と付き合う人間は誰もいなかったのである。
そんな連れ合いを奥さんは以前から心配していたのである。

それを気にかけてしまう優しさがこの男の欠点なのである。
でも、切ったのである。
葬式にも行かぬつもりである。
今生の別れだったのである。


この続きは明日の
生きるためにやって来た仕事(そこで出会った人たち その4)
に続けるそうである。

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