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ハガキをかく

ハガキをしたため中である。年賀状の返事である。年賀状は数年前にやめてしまった。それでもいただく年賀状を外っておくわけにはいかない。

三十、四十代の頃は毎年数百枚の年賀状を書いていた。友人、知人、会社の上下、得意先、年々その枚数は増えていった。毎年末には寝るのを惜しんで酒を飲み、寝るのを惜しんで年賀状を書いた。移動の電車内や車の中でも書いていた。それは苦行以外の何物でもなかった。

両親、兄貴の介護、家の立て直しのため休職していた間にそれは変わった。
父は生死の境を彷徨い、母、兄の終の住処は見つからず、誰も住めなくなった家の処分を考えなければならず、残してきた仕事も気になり二進も三進にっちもさっちも行かない状態だった。早い午後から父が大切にしていたウイスキーをはじから空にし、ほぼ投げやりの状態の毎日が続いた。誰とも会うことも無くうつ状態だったようである。松本の大学にいた息子がひょっこり現れ「親父おかしいぞ」と言われて目が覚めた。

その時を境にして几帳面な性格は変わった。『出来ないものは仕方がない』と思えるようになったのである。極限まで追い詰められたら人間の性格は変えれるようである。気も長くなりあまり腹も立たなくなった。

人よりたくさん手紙やハガキを書く方だと思っている。メールも嫌いではないが熟してない果実を人に食べさせるようであまり好きではない。青リンゴが好きだと言う人もいるかも知れないが、未熟な果実は身体に悪かったりもする。
宛名だけ先に書いて机の上にハガキを置いておく。そして他の事をやっているうちに伝えたい事、ハガキの中身は定まってくる。いつもそんなふうにハガキを書いている。

この時期のある程度まとまった数のハガキ書きもそのうち無くなるだろう。
何かあれば連絡は来る。
それでいいと思っている。

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