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なぜか人気のない

大阪では四回目の緊急事態宣言発出とあいなった。
三度目の正直はこの流行り病には通用しなかったのであろうか。
政府の流行り病対策分科会の尾身会長が国民の流行り病に対する危機感の薄さを強調していた。
私もその通りだと思う。

しかし、しかしである。
そもそも何度目の宣言中であったかは記憶に定かではないが、自民党の議員が銀座で飲み歩いていた事件があった。
こんなことは一例に過ぎない。
子は親を見て育つ。
議員を親とは思わないが、危機感が欠如した人間たちが、今の状況に口先だけで危機感の認識をいくら唱えようとも、国民の誰一人として脳にその言葉をとどめることはないであろう。
こんな与党が、人気が無いのは当然のこと、当たり前のことだと思う。


さて、私の言う『なぜか人気のない』はもっともっと大切なこと。
飲み屋時代の人気の無かった料理である。

切干し大根の煮つけ
ひじきの煮物
おからを炊いたやつ

私の好きなこの三つ、ひと昔前の家庭ならば必ずお母さんが用意する主役とはならないが存在感のある脇役の一品であった。

この三つ、それなりに丁寧に味付けしてカウンターに並べても、注文は少なかった。
常連のお客さんに食べてくださいと出すと、「美味い」と言って食べてくれる。
でも注文は少ないのである。

私はこの三つ、どれもが日本酒の友として、一緒にいてくれれば嬉しい一品である。
しかしながら、この『私の好み』が曲者である。

わざわざ金を払ってまで家で食べれるものを食べたくはない、というのが理由の一つ。
酒を飲みに来てまでカラダに良いものを食べようとは思わない、というのも理由の一つであろう。

そんなヒアリングをお客さんに行いつつ、自身でも分かってはいたが、これらは外すことの出来ない私の飲み屋のメニューであった。
売れなくてもいい、私の可愛い飲み屋のメニューであった。
こんなわがままも個人経営だから出来る私の楽しみであった。

やっと戻りかけていた飲み屋街の喧騒は明日からまた消え去るのであろうか。
時には飲み屋は文化を生み出す土壌にもなる。
一度消してしまった文化を取り戻すことは難しい。
こんなことばかり繰り返していたら本当にそんな日がやって来てしまう。

殺伐としたココロばかりが残る街の中で温かな社会は出来上がっていくのであろうか。
余裕のある遊びゴコロの持てる社会でなければ新しいものも温かなものも生まれはしない。

時には飴も鞭も必要であろうが、皆、バカじゃない。
納得の上での飴と鞭を使わなければならないような気がしてならない。

そんなことを考えているとこの流行り病は私たち全員への警告のような気がしてならない。
警鐘としてのこの流行り病を皆で考え、皆で立ち向かわなければならない時がやって来ているような気がしてならないのである。

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