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スタイルの変わったこの世の話

それは10時30分に決行された。

たまたま私はその場に居合わせた。
いつもの日曜の午前、仕事を終えた私は合気道の稽古のためにいつもの駅に向かった。
11時からの稽古のために私はいつも同じ電車に乗る。そのための行動には無駄は無くいつも同じ時間に同じ事を行い、それを繰り返しているのである。
最寄駅から発車する10時41分発の列車に乗るために、私はいつも10時30分前に駐輪場に入り、自転車を止めて鍵をかけて10時35分に高架駅に上がるエレベーターの「昇り」のスイッチに指を伸ばしている。この3年間、今の地に居を移してからほぼ毎週同じ行動が続いているのである。

それが先週の日曜日は違ったのである。この日は天気が悪かった。そしてスマホの気象情報は詳細な雨の降り出し時間を私に伝えてくる。いつもの時間では激しい通り雨に正面衝突しそうであった。そんな気象情報を横目に私はいつもより素早く身支度し、道着を抱えて家を出た。いつもより5分早かった。5分早く自転車に乗り、5分早く駐輪場に着いて、何もかもを5分早くいつもと同じ行動をしたのである。

そして、5分早い10時30分にエレベーター乗り場に着いた私の目の前で行動は決行された。エレベーター乗り場はバスや一般車両の入れるロータリーに面している。ロータリーから少し離れて立っていた女はそわそわとスマホで時間の確認をしているようで10時30分きっかりにロータリーの歩道と車道の境の柵に近づいて行った。するとそれを見計らっていたかのように原付バイクがロータリーに入って来て女に近づいて来た。まわりに二人を気になどする人間はいない。私はたまたまいつもの5分前のルーチンと行動のなか、目の前での光景が異様に思えただけなのである。

ロータリーに原付バイクで乗り入れた男はヘルメットを脱ぐこともなく、たぶん言葉を交わすことなく女の手から茶色の紙袋を受け取ってそのまま去って行ったのである。私が目にしたのはそれだけである。ほんの数十秒の出来事である。実はその後、女は私が乗るエレベーターに乗り込んできたのである。その場から少しでも早く立ち去りたいかのように小走りで駆け込んできた。そしてスマホでどこかに連絡を入れているようだった。

私はそこまでを目撃していなければなんだか生活に疲れた女性が乗り込んで来たな、そうその時に思って、すぐに忘れ去ってしまっていたと思う。そのまま日常の普通の風景に溶け込んでいったに違いないと思う。それをどうしてかわからないが、ただただ何かが引っかかるのである。不審な二人が気になるのである。紙袋をやり取りしていた二人に何かが隠されているのではないだろうかと今さらながら気にしていてもどうにもならないのだが、気になるのである。

しかし、考えてみればこれが現代の日常なのであろう。私が何をやって生きているのかを、周りの人間が知らないのと同じように他人が何をし、考えているのかが分からないのと同じことであろう。世には知られていない悪事は山ほどあるだろうし、ひょっとしたらそうではない善行も山ほどあるのかも知れない。私が面白く詮索しているだけであの女性は実は「ちびっこハウス」に善意を届けるタイガーマスクの正体だったのかも知れない。

いやしかし、それにしてはあの女の行動はあやしい。私が無知なだけで私が想像するようなアルバイトがスマホの中に山のようにあるのかも知れない。インターネット、スマホが私たちの生活を変えている。あと10年もすれば本当の高齢者に仲間入りしている私はスマホ無しでは生きていくことが出来なくなっているのだろうか。AIは私たちの生活をどう変えていくのか興味がある。世界征服を企む悪の科学者が手にするスマホやAIには善意や良識などを教え込まれることはないないであろう。間違えてそんなスマホを手にすることがあったら、私でも世界征服ができるのであろうか。そんな下らぬことを考えながら、半分スマホに征服されつつある自分に気づいた。そして、世界征服って案外簡単なんじゃないかと思う自分がいるのであった。


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