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雷とミートソースやきそば(その1)

梅雨の終わりを告げたいのか、まだ夜の明けきらぬ空が吠え、雷が光る。

明け方、ウトウトしながら思い出していた。
昭和51年1976年、高校一年の夏休みの最中、私は東京都あきる野市近くで雷鳴が轟くなか、雨に打たれ自転車を走らせていたことを。

高校はどこでもよかった。
とりあえず何かがあればすぐに帰れる場所がいいと思い、親にはそんなことは言わずに自転車で通学できる公立の新設校に入学した。

目標も夢も持たない高校生だった。
新設校のパンフレットには武道場があり、柔道部と明記もされていた。
しかし、蓋を開ければそれは無かった。
後に聞くと教える教員がいなかったからと、そしてパンフレットをもう一度見ると、(予定)とカッコ書きされていた。
柔道への夢は絶たれ、仕方なくサッカー部へ入った。

私が入って11名、新設校だから当たり前だが一年生ばかり11名のサッカー部だった。
当時の青春ドラマに出てくるような個性的な男ばかり、そしてワルの集まったサッカー部だった。
でも今回はこのサッカー部の話じゃない。
中学時代から好きだった自転車での遠出の話である。
サイクリングが巷で流行り、爽やかな風とともに走るお兄さんやお姉さんが表紙を飾るサイクリング雑誌なんかもあったくらいである。

そんなのはキザっぽくて好きじゃなかった。
思うがままに移動するそんな自転車での移動が好きだった。
気が向けば愛知から日本海を見るために48時間くらい自転車をこぎ続け往復することも苦に思うことは無かった。

若さで力を持て余し、爆発しそうな何かをいつも心に抱えていた。

中学時代から貯めた小遣いで自転車のパーツを買い集め、自分で作り上げたのが高1の春だった。
そして夏休み、計画を立てて愛知から母の故郷山形県南陽市赤湯に向かったのである。
国道1号線をひたすら走り途中、野宿をしながら箱根を越えて、その日の宿泊先である、あきる野市に近づいた時はすでに深夜に近かった。
そこで打たれた雨である。
シャワーのようで気持ちがよい雨だった。

あきる野市のJR東秋留の駅前に母の姉が住んでいる。
そこの長女道子さんは私より5歳年上の姉貴のような存在の従姉だった。
道子さんに私がまだ幼稚園に行っていた頃、品川の戸越銀座商店街でごちそうになったのが 『ミートソースやきそば』なのである。

長くなります、、
続きはまた明日、よろしくお願いします。

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