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盆と正月くらいは

残暑なんて言葉を忘れそうなくらいに涼しく、不順な天候が続く。

少し前まで『盆と正月くらいは』というフレーズを時折耳にしたような気がする。
盆と正月がそれくらい希少なもので大切にしなければならないものなのであろう。
そして、その時くらいは…  、と許されるなにかを日本人は持っているのだろう。

両親が健在の頃は必ず盆と正月には帰省した。
盆に都合がつかなくとも、正月には必ず帰っていた。
両親はそれなりの料理を用意して、成長した孫の顔を見るのを楽しみにしていた。
何をするわけでもなく、飲み食いしてゴロゴロと数日を過ごしてまた大阪へ戻った。

社会人に成り立ての頃、ゼネコンの現場事務をやらされていた。
よい意味での放任主義で誰も仕事を教えてくれなかった。
毎晩夜中まで一人悩み試行錯誤の中、書類を作った。
そんなわけで締め日に間に合わせるために、盆も正月も書類を持って帰省した。
その頃はまだ、それくらい責任感も強ければ、まだわからぬ仕事に追い詰められてもしていた。

『盆と正月くらいは』と『盆も正月も』では意味合いが変わってくる。
両親はその時の私を見て『盆も正月も』と思っていただろう。

高度成長期に馬車馬のように働いてきた両親の世代は土日は無くとも、そのぶん盆と正月は大切にしたのだろう。
メリハリがあっていいと思う。
季節感を作り出す材料になりいいと思う。

『藪入り』という今は無い慣習に郷愁を覚える私はおかしいのだろうか。
もちろんそんな経験をしたわけではない。
小説のくだりが頭に残っているだけである。
『ごりょんさん』に新品の着物を着せてもらい、手土産を片手に実家にいそいそと帰った丁稚を羨ましく思う。

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