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阿倍野の飲み屋のものがたり その6    (カレーのルー、ロールパン付き編)

大阪、鶴橋をご存じだろうか。
1984年、大学を卒業しゼネコンの大阪支店に配属されて新入社員の研修で行かされたのが東大阪の下水道シールドの現場だった。
その時乗り換えたこの鶴橋駅で嗅いだ匂いが忘れられない。
近鉄線に乗り換えのため、JR鶴橋駅のホームに降りた瞬間に焼肉の匂いをかがされたのである。
匂い付きの駅ってのは他を探してもなかなかないのではなかろうか。

私はここの市場と商店街での仕入れのために毎朝通っていた。
JR天王寺駅から環状線の内回りに乗って大阪に向かい、寺田町、桃谷、その次の三つ目である。
JR鶴橋駅の環状線とクロスする近鉄奈良線の高架下を中心に商店街が広がっている。
もとは戦後の闇市からスタートしたそうである。
だからその気になれば何でも揃う個人商店が縦横に走る狭い道路の両サイドに並んでいた。
コリアタウンが中核を担うエリアには韓国食材のお店や、キムチ専門店、カラフルな民族衣装を扱うお店が並ぶ。

私が用のあるのはその奥にある市場と生鮮品の並ぶ市場であったが、面白く楽しいので毎回違う通路を通っていた。

そして、私はこの鶴橋のキリスト教の教会で一時期、合気道の稽古をしていた。
日本聖公会の教会の神父が師範である。
私より一段上位の七段の師範は温厚で酒の好きな優しい方である。
ちなみにこの日本聖公会は聖路加病院、立教大学、大阪の桃山学院高校、大学などの母体の大きな組織である。

大阪教区の事務所が私の店の目と鼻の先にあるのを知らなかった。
まったく客の入らない『坊主』という状態は経験したことは無いのだが、そんなタイミングはたまたまやって来るのだろう、ある夜、九時過ぎに客足は途絶え、たまには早仕舞いしてよその店でものぞいて帰ろうと思っていたところへ神父様ご一行は到着した。

会議はいつも夕方から、そんな時間で終わるそうである。
飲めない人間はいないとおっしゃっていた。
三十代のお一人を除けば皆さん私より年上の六十代、まったく年齢を感じさせない食べっぷり、飲みっぷりであった。

鶴橋の精肉店で買って来た牛スジのカレーは評判だった。
肉も、魚も、野菜も食べる、食べる、食べる。
そしてビールも、酒も、焼酎も飲む、飲む、飲む。
その食べっぷり、飲みっぷりを目にして、私は何故か映画『エクソシスト』を思い出していた。
見てはならぬ悪魔払いの儀式が私の目の前で繰り広げられているように思えたのだ。

それから時々おひとりで寄っていただく神父さんがいた。
日本酒と煮魚である。

神父さんのユニホームのようなスタンドカラーの白いシャツ、黒の上下、そして姿勢の良い立ち姿、神父さんは立ち飲み屋に合った存在なのかも知れない。


立ち飲み屋に恋する男のワンダーランドは毎夜いろんなお客さんの登場で構成されていたのであった。

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