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くちなしの花

私にでもわかる花がある。
名前と花が一致し、目をつむっていても匂いだけでわかる花がある。
くちなしの花である。
1973年、もちろん昭和の世である。中学生になった私はテレビから流れる歌謡曲に心を奪われた。
到底中学生などが心を傾ける歌ではなかったのかもしれない。でも私には特別な歌に聞こえたのであった。
ませた中学生の私はきっと生活に疲れた女の歌だと勝手に決めて聞いていた。東映のやくざ映画に出ていた渡哲也が歌うのが不思議で決して上手とは思えないその歌声が気になっていたのである。
それからである、誰から聞いたのであろう。
その歌は私の想像なんかと違う、もっと崇高な歌だったのである。

時は第二次世界大戦中、特別攻撃隊の一員だった若者の遺書だったと聞いたのである。若者は訓練飛行中にその命を青い大空の下に散らしてしまう。そんな若者の遺書だったと聞いて驚いたのである。

『今では指輪もまわるほどやせてやつれたおまえのうわさ』
私の生まれるほんの15年前まで信じられないがあの悲惨な戦争の只中に日本はいた。そのなかにも男と女はいるわけで、惹かれ合った若い女と男は自分の意志では動くことの出来ない全体主義のなか、互いの思いを抱えたまま、ただひたすら抱えたまま無残に引きちぎられる人生しか無かったのである。あることは無い人生の先を約束して送った指輪だったのであろうか。

『わがままいっては困らせた 子供みたいなあの日のおまえ』
恋も愛も許されるような雰囲気はなかったであろうあの時代に、若い女の我が儘は純粋な無邪気であり男の私には切なく悲しい。女と遠く離れた江田島海軍兵学校からこんな手紙を男は書くことを許されるはずがなかったであろう。

『小さなしあわせそれさえも 捨ててしまった自分の手から』
決して小さな幸せなんかじゃない。若い女と男にとってこれ以上に大きく大切な幸せは無かったはずだ。捨ててしまったのではない、捨てさせられたのである。
無残に無理やりその手から捨てさせられたのである。

『くちなしの花を花を見るたび 寂しい笑顔がまたうかぶ
             くちなしの白い花お前のような 花だった』

数限りなくいたであろうこんな若者たちの思いを胸に祇園のクラブで歌っていた頃がある。二十代だった。毎日九時十時までの残業、近所の居酒屋で酒を飲みそのままタクシーで祇園に乗り付けた。土曜も日曜も無い時代だった。二日酔いの毎朝目にする朝日はオレンジ色だった。飽食した時代の幸せに一人申し訳なさを感じて歌っていたのである。感極まり時には涙する私に店の女の子は「どうしたの」と聞くが「うん、まあね」としか答えることは無かった。

今まさにこんな事が世界中で起こっているわけで、それに加担しながら対岸の火事としか考えれぬ首長がいるとうわさに聞く。
一度この渡哲也が歌う「くちなしの花」を流し、広いクラブで二人きりで膝を交えて話を聞いてみたいものである。


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