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最近とんと目にしなくなった

今の子ども等は『霜柱』なんて知っているのであろうか。
私たちが子どもの頃、本州中部に生息していた私たちでもこの本当の寒が訪れる時期に目に出来、体感出来るものであった。

小学校の集団登校時に並んだ列が全員アスファルトの道を外れる。そしてザクザクと霜柱の上を我先にと歩くのである。あの心地よさは自身で踏み込んでみないと分からないかも知れない。土の表層を小さな氷の柱が押し上げて地表が膨らんでいる。そこにザクっと自分の靴の形を押し付けるのである。どうであろう床にウエハースを敷き詰めて靴で踏みつけたらそんな感じになるのであろうか。

そもそも街中では土が顔を出す地面が極めて少ない。アスファルトかコンクリートである。現代社会、自動車社会はこのアスファルトやコンクリート無しでは成り立たない。
しかし、これらが本来あるべき地球の呼吸を止めている。雨は地表で大地に吸われることなく下水管に流れ込み、アスファルトやコンクリートは熱い陽射しを受けてその熱を地中に閉じ込め、本来そこで起きる気化熱が地表の熱を奪い去ってくれる仕組みを壊している。
想定外の雨が降れば下水管からあふれた雨水は洪水を引き起こす。自然界のサイクルを奪ってしまったのだ。

緑は少なく動物たちの生態まで変えてしまった。地中で生活していたミミズたちは民族の大移動をしたのだろうか。生涯のほとんどを地中で暮らすセミたちは地上に出られず驚いたのではないだろか。
次来る夏の少し涼しくなった夜にアスファルトに耳をつけて聞いてやって欲しい。一目見よう一目太陽を見ようと思って生きて来た地中から抜け出ることが出来ずに鳴く蝉の断末魔の叫びを、地中で狂い鳴き続ける蝉の泣き声を。

そんなふうにしたのはみんなみんな私たち人間の我がままであることを霜柱は知っている。


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