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夢は夜ひらく

変わった子どもでした。

藤圭子が好きでした。

クールファイブが好きでした。

前川清が藤圭子と結婚して驚きました。

『夢は夜ひらく』は当たり前の事を言っとるなぁと思っていました。

昨日マー坊 今日トミー

明日はジョージかケン坊か

寂しい女性なんだなぁ、と思っていました。

十五、十六、十七と

私の人生暗かった

過去はどんなに暗くても

夢は夜ひらく

ツライ今など誰にでもあるのになあ、と、
小学生の私はそんなふうにこの歌を聴いていました。
世の中のことも、男と女のことも分からずこの曲に魅せられていました。
高度成長期のその頃、世の中は明るい将来を約束され、誰もがそれに向けて額に汗して頑張っていたはずです。
その頃、私は対価を得る労働は肉体労働がすべてだと思っていました。

生まれついての報われぬ人生ってあるよなぁと思っていました。
私が夢を記憶に残さないのは自分をそんなふうに思っていたからかも知れません。

マリメッコの壁掛けを見ながらベッドにいるとなぜか藤圭子のかすれた声が頭に流れます。

たぶんこいつらは藤圭子なんて知らなければ『夢は夜ひらく』なんて聞いたこともないでしょう。

なんの因果でこの部屋にいるのでしょう。

このマリメッコ達にもいろんな人生があったのでしょう。
そんな先達たちが夜ひらく私の知らない私の夢を毎晩覗いているのかも知れません。

夜見る夢、昼間の夢
私は夜の夢は記憶にありません。


久しぶりに昨晩は痛飲しました。
旧知と会い、夢を聞き、私も夢想にひたりました。
どんな時代にも夢はあって、夢は見なければなりません。

前を見るよながらじゃない、
夢は夜ひらく

藤圭子はそう歌いながらも、
大きな夢をつかんだ人でした。

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