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ある夏の夜のおもいで また別の話

昨日の続きのような、、、
みなさんから頂いたコメントに目を通しているうちに母ハルヱのことをまた思い出しました。
悪い息子ではあったが、たまには良いこともしたなぁ、って感じです。

もう十年も時間をさかのぼります。
父のC型肝炎から発症したガンは本領を発揮しだし、母のアルツハイマーも母の人格にまで迫り寄ってきました。
介護者が二人とも要介護者で看病される兄貴の病状もさらに悪化していきました。

毎週金曜日は早い午後に会社とはおさらばしました。
新幹線に飛び乗り豊橋駅までの1時間半が私の休息時間でした。
実家ではスーツ姿のまま、まずは買い出し、帰って家の中を片付け、晩飯を作って、みんなと飯を食って、風呂に全員が入ってからやっといろんなことを考えることが出来ました。

勝手口に『むつのホタテ』ってシールの貼られたトロ箱が置かれていたのを思い出しました。
その前の年のこの時期にも同じのがあったことも同時に思い出しました。
ハッと思い、見れば宅急便のラベルもそのままです。

すぐに送り主の女性に電話をしてみました。
「秀樹君なの、」とその女性は私を知っていました。
私の一報で女性は泣きだし、しばらく話は出来ませんでした。
私はなんとなくここで展開は想像できました。

母の下で看護師となり、共に仕事をしてきた仲間だそうで私が子どもの頃、よく家まで来て、飲み食いして楽しく話をして帰ったそうです。
だから、私のこともよく知ってたんですね。
その方は、結婚に失敗をされました。結婚してしばらくしてからDVの夫に毎晩暴行を受けたそうです。
相談を受けた母がある勤務日のあとに家まで連れて帰り、金を渡し着の身着のままで青森に帰れって言ったそうです。

そのあとのことを私はよく知りませんが、病院まで来たDV男には母が対応したそうです。
離婚も出来て、今は二度目の結婚で幸せな生活をつかめたそうです。
毎年この時期になぜか我が家に不相応な立派なホタテを食べていたことに疑念を持ったことはありませんでした。

その方は言ってくれました「お母さんの認知症が進んでるのは知ってた。今年はホタテを送っても電話が来ないから何かあったんだと思っていた。そこに秀樹君の電話だった。」
深く深く感謝されて電話を切りました。

こんな時限爆弾をいくつも仕掛けて母ハルヱは認知症となり、一人あの世に旅立ちました。
人の世話ばかり焼き、自分のことは二の次の人でした。
不思議な母だと思っていましたが、そのやり取りで思いました。
私も周りに辛い思いをしている人がいれば気になる、何か出来ることはないかと思う。
母の子であることをしみじみ噛みしめました。

そしてその晩、腐らせてしまったホタテを感謝とともに丁寧に片づけ、御礼の手紙を書き、翌日大阪に帰る途中に豊橋名産ヤマサのちくわと共にその方に贈りました。

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