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猫とくつわむしの生涯

私が通う障がい者施設は大阪の北摂に近い。
この時期すでに朝夕には秋を感じる。
夕に近い午後にはツクツクボウシもヒグラシも鳴く。

この何年か秋の虫の声を聞いた覚えが無い。
たぶん私の耳は付いているだけで、聞く心が無かったのだと思う。
心にゆとりが無かった。
だから、今年はきっと聞けるだろうと思う。
余裕が無かった自分に気付けたということは多少の余裕が生まれてきた、ということだろうから。

子どもの頃の話、父の実家、長野県の山中の寒村の一軒家のこと。
農家の玄関は時折夜なべや悪天候のなか作業も行える広い三和土(たたき)である。
その一番端の囲いの中に農耕馬は飼われていた。
耕運機などまだ持てる時代ではなかった。

山中の起伏の激しい段々畑ばかりの父の実家では馬は欠くことの出来ない貴重な労働力であり、家族と同様の扱いで人間と一つ屋根の下で飼われていた。
そして轡(クツワ)で繋がれていた馬の存在は深夜の漆黒の中でも息使いや轡の音で分かったものである。

クツワムシってのは私にはイメージが悪すぎる。
その容姿である。
大きいそしてずんぐりむっくりしており、コオロギやスズムシのような可愛らしさが無い。

その異様な姿は漆黒がさらに濃くなった馬屋近くから現れた。
ドキッとした私にはお構い無しである。
馬屋からの使いは三和土の真ん中あたりにゆっくり這い出てくる。
気持ちの悪いものをしっかり見てしまうのは私だけではないと思う。
その美しくない容姿に目を奪われているとどこからか現れたネコがパクっと咥えていく。
ネコの貴重なタンパク源となるのであろう。
クツワムシはそこで生涯を終える。

あのクツワムシはガチャガチャと鳴いたのであろうか。
童謡『虫の声』に出てるのは、ただ単に  ♪ ガチャガチャガチャガチャくつわむし ♪  という語呂の良さからだけなのではないだろうか。
私にとって何の魅力も感じないクツワムシ。
しかし、妙に存在感のある不思議な秋の夜長の登場人物であった。

もうそこまでそんな季節がやって来ている。

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