夢をみることのできた時代
あまりテレビを観ないのであるが、最近NHKBSで朝『マー姉ちゃん』と『カムカムエブリバディ』を観ている。
第二次世界大戦付近がそれぞれの舞台であり、私はこの時代の風景に惹かれている。
『マー姉ちゃん』に出てくる磯野家の居間であり、田河水泡や菊池寛宅の応接間、『カムカムエブリバディ』に出てくるクリーニング店であり、喫茶店、レコード店、主人公るいの部屋の風景である。
私が生まれる前の時代、通過していない時代であるが、もの懐かしさを感じるのである。
物があふれていない部屋、そして、木が中心の空間なのである。
おかしな言いかたであるが、空気が生きている感じがある。
温かさが伝わってくるのである。
そして、主人公るいはトランぺッター大月錠一郎への思いか、過去の記憶と対峙するためなのであろうかレコード店でルイアームストロングのLPレコードを買う。
ああ、以前はあんなふうにレコードやCDを探したなぁ、本屋でも二時間も三時間も彷徨うようにうろついたなぁ、私はそんなことを思い出し二本の番組を観ている。
今、誰でもが部屋に居ながら本も音楽も、世界中の芸術、遺跡もデジタルで見聞きし、そこにいるような疑似体験も出来る。
でも何かが足りない。
無駄が足りないのかも知れない。
40年前に一人でカイロ博物館を、そして、その少し前に一人故宮博物館を彷徨った時を思い出し、その時の感覚に似ているように思う。
そこに行かなければ体験できない事がある。
そして、そこまでの過程があり、行けば本来の目的以外に発見があったりする。
そのどれもが無かったり、小さかったりするのが今じゃないのだろうか。
良いとか悪いとかの問題じゃないかも知れない。
でもあった方がいいようなもの、そんな感じかも知れない。
子どもの頃住んでいたまだ部屋にカーテンの無かった豊川の2DKの社宅が懐かしい。
ちゃぶ台にブラウン管のテレビ、大したおかずは無いのに炊き立てのご飯とみそ汁だけが妙に熱かったのを憶えている。
そんな中でも人ってのは夢を見て生きていくことが出来たものである。
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