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放置竹林整備の目指す先

毎週水曜、朝仕事を終えてその足で京都大原野に事務所を置くNPOまで手伝いに行っている。
たいそうなことを書くが私が行って何が出来るわけではなく、ただの皆さんの話相手なのである。
三か月前に理事長が心筋梗塞で倒れ、それから週一度だけだが足を運んでいる。

竹に限らず地域の自然管理を自らの責任と思う意識が薄れているばかりか少子高齢化で竹林整備は物理的に不可能に近くなっている。
法人を設立して15年近くなるが京都府下の至る所でこの問題はあり、観光地である嵯峨野の人力車の走る竹の穂垣で飾った整備などは全体のほんの一部なのである。

この嵯峨野は京都市の土地と、企業の出資があり整備が成り立った。
当たり前のことであるが、金が無くては整備は進まないのである。

この京都大原野の竹山に降った雨は大地に染み込み木津川に流れ込み最終的には大阪湾に注ぎ込み太平洋に帰って行く。
整備された竹林が守る山の栄養が海のプランクトンを育て、海の生き物たちを育てていく。
そして、循環に繋がっていく。
世界的に有名な気仙沼のカキ養殖の畠山さんと同じ発想なのである。

昔の山の所有者は個人でそれをして来たそうである。
生え過ぎた竹の地下茎は水はけを悪くするばかりか、一枚の絨毯のようになり大雨でずり落ち山崩れを起こす可能性がある。
放置竹林整備において防災も大きな課題なのである。

進む過疎化を食い止めるために地域の産業を生まなければならなく、竹とともに考えるその問題解決も課題である。

京都市が支援の認定を行い、ふるさと納税型クラウドファンディングで資金調達を行おうとしてくれているがなかなか絵にかいた餅は食えそうにない。
京都市も力を入れて協力はしてくれるが、協力以上のことを出来ないのが現在の実情である。

そんなこんなは、足らぬ頭を寄せ集めて、ああだこうだと議論の中からアイデアは生まれる。
そのかなめが理事長である。

金のストレスは誰にも言えない胃袋に納めた漬物石のようである。
すぐにタバコが吸いたいと言い出す。
元気にまだまだ頑張ってもらうために監視役で私は行っている。
酒は飲み過ぎなければいいという言葉を信じ、そろそろ大阪に誘い出そうかと思っている。


そんな事を考えながら途中下車をして長かった一日を振り返った。


難波ウォーク赤垣屋にて遅い昼メシ

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