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研師(とぎし)ヒデの話「ヒデの聖戦」その7 最終章 明けぬ夜は無い

ともに首切りを目指したヒデの曾祖父荒木英心あらきえいしんと正彦の曾祖父小泉正剛こいずみまさたけは、山田浅右衛門当主争いの一戦を交えたあと互いに違う道を歩き始めた。だが互いに刀からその心は離れることは無かった。そして、その刀に向かう心も互いに微動だにしなかった。「活人の刀」と「殺人の刀」である。英心は研師を極め、刀と語りながら生涯を終えた。両手首から先を失った正剛は手首を使わず前腕だけを使う剣法で殺人剣を極め、そればかりかどうやって材料を手に入れたのか、山田家が「御様御用」という死刑執行役を解かれた後に絶えてしまった「人胆丸」を密かに作って財を成した。

そして、血は変わることは無い。今なお小泉の血は正彦を地下に潜らせて「人胆丸」を密かに製造させ、さらには人身売買にも手を染めさせていた。タケが譲り受けたアパートの地下を改造して「製造工場」とし、連れてきた女たちをここで解体、丸薬を製造し、液体窒素漬けの部分出荷も行っていた。製造ラインは解体ラインばかりではなく、種付けを行いその子らの出荷も行っていたのである。

金と暇を持て余ました人間はろくでもないことに執心する。自身の若き肉体、永遠の命まで金で買おうとするのである。生まれたばかりの乳飲み子を、まだ聖なる母の肉体から生まれる乳しか身体に入れていない穢れの無い肉体から、その生をもらい受けることが出来ると信じているのである。しかも、それを食ってである。
そんな馬鹿どもと闇でつながる正彦はとうに壊れていた。それ以前に会ったこともない曾祖父の血を引いたばかりが理由での自身の身体の、自身の感受の異常を気付いていたのである。しかしそれはいつしかなかば諦めという形で受け入れてしまい、大学で「不適格」のレッテルを貼られたことで完全に固化されてしまったのである。正彦はあの時に西野教授に正して欲しかった。回りで自分を正そうとする人間のいないなかで唯一それをしてくれそうな人間に出会えたのである。いや、出会えたと思っていた。なのにそれまで出会ったすべての人間と同様に正彦を異常者としか見てくれなかったのである。

医学の知識を持った医師のなりそこないの正彦には子どもの頃から修業した剣の力も加わって、闇の世界に自ら降りて行った際には大いに喜ばれ、初めて仲間として受け入れてもらえたのである。

両手首の無い曾祖父が用いた刀を改造して正彦は人を斬った。曾祖父は両手首のない前腕に丈の短い刀を固定し、二刀流での戦法を編み出していた。そしてその刀は『骨喰藤四郎ほねばみとうしろう』、もとは鎌倉時代の薙刀だった脇差で、刃を置くだけで骨まで断つという妖刀である。正彦はその柄に垂直に握り手を付けて振り回したのである。両手で振り回すその半径内には誰も入ることは出来ず、何人もの首をた易く落としてきたのである。

そんな正彦を相手にするためにヒデは『八丁念仏団子刺』と『猫姫』を背に刺し、智を連れて「製造工場」に向かっていた。
事前にそんな話をメイに聞き、「真向まっこうからぶつかるしかない」ヒデはそう直感し「出荷」の時間前に合わせて地下に入り込んだのである。

液体窒素漬けの準備をメイにさせながら正彦はそれをにやにやしながら見ていた。
「どうもこれから楽しいことが起こるようだな」
メイはそれを聞いて自分の心臓が口から飛び出しそうだった。
昨晩ヒデと闘ってから自分がおかしいことに気付いていた。無構えで手を出すことなくメイに殴られたヒデの態度、「この先の人生をヒデに託すように」と言った悲しき小刀『猫姫』の言葉、それらは湧いたことの無かった感情をメイに生ませ、タケの胸で生まれて初めて泣いてから自分が変わっていたことに気付いていた。

メイはいつもは生まれた子を液体窒素に漬けることも平気で行っていた。でも、今は違った。正彦はそれを感じ取っていたのである。
正彦がメイに何かを言いかけた時にヒデと智は飛び込んできた。

「ちょっと待ってもらおうか」

ヒデの言葉に正彦は驚くこともなく、「お前は誰だい」へたくそな三文役者のセリフのようだった。

ヒデは名と素性を名乗り、曾祖父同志の一戦があった時に自分はここに来るようになっていたようだと伝えた。正彦は黙ってそれを聞いていた。そして自身の血を呪い続けてきたとヒデに言った。そして、お前にそれはないのかとも言った。
人を斬った時の快感は何にも勝る、今はそのために生きているとも言った。
そしてもう引き返すことは出来ず、このまま前に進むだけだ。
そう言い、正彦は大きめのドクターバッグから二振りの『骨喰』を抜き出した。完全に狂人の眼に変わっていた正彦は両の手でひゅんひゅん『骨喰』を振り回し始めた。
ヒデは『団子刺』を左手に『猫姫』を右手に両の手を下げて構えた。またもや無構えの構えであった。団子刺と猫姫にすべてを託し、ヒデは正彦の振りをよけ続けた。
ヒデは
「団子よ、お前あの刀と闘ってるんじゃないのか?」
団子刺は
「まあな、でも俺もあいつも残ってる。死ぬのは人間、さあ今度はどちらだろうな」
「でもな、猫姫がいるからお前は心配いらねぇよ」
天井の低い地下室では正彦の丈の短い振りが有利に見えた。場所になれないヒデが不利に見えた。振りを除けながら後退していたヒデは壁を背後に行き詰ってしまった。
その時である。飛び出て来たメイがヒデにかぶさりヒデへの一撃を受けたのである。血しぶきが舞いヒデの目の前を赤く染めた。同時にメイの後ろ蹴りは正彦の右手をとらえ『骨喰』は打ち放しのコンクリートの天井に突き刺さっていた。するとどうであろうヒデの右手の猫姫が金色に輝きだし、その明るさに目を瞑った瞬間に大虎に変わっていた。
そして「助けてくれと」叫ぶ正彦に、向かい追い詰め上から覆いかぶさり、まずは素手の右手を喰らい、そして次には骨喰藤四郎もろとも左手を食いちぎり飲み込んだ。「ここで死んでいった女、子ども達のためにお前の命は一度にはもらわない」と言い次は両足を順に喰らい、胴を喰らい、最後に頭を喰った。
そして大虎は振り返り「そなたはまだ死ぬでない。ここで死んでいった皆のぶんまで十分にこの先を生きていきなさい。幸せになるのですよ」そう言いまだヒデに抱えられている気を失ったメイの前に、猫姫の愛猫だった『ぶー』こと三毛猫フクの姿になり座り、最後に「にゃ~」と鳴き姿を消していった。そのあとそこに転がるのは無残にも根元から折れた悲しい小刀『猫姫』の姿だったのである。


これがヒデの聖戦だったのである。赤い夢はメイの血煙だったのか、すべての発端となった自身の血の赤であったのかは定かではない。でも、もうヒデは赤い夢を見なくなった。

不思議なことに猫姫が姿を消すとメイの背中の袈裟に斬られた傷は綺麗に癒えていた。
普通の年齢相応の女の子に戻ったメイは可愛そうにその時点で多くのトラウマを抱えるようになってしまった。それまで当たり前と思い感情無く行ってきたすべてが、人としてあるまじき行為であったことを強く悔い悲しんだ。

そこにいた痕跡を残し、跡形もなく消え去った正彦は、ヒデたちの証言をまともに受け入れる者はこの世にはおらず辻褄の合わぬ迷宮入りの事件として扱われ、地下に囚われていた女性たちのことは大きく報道された。しかし、人の噂は七十五日、木枯しの吹く頃には誰もそのことは口にしなくなった。

そしてメイは今、立ち飲み屋マルで仕事をしていた。マルは自分の娘のようにメイを可愛がった。戸籍の無いメイを智の祖父西野仁志は自身の持つ力すべてを使ってでも、自分の眼の黒いうちに自身の養女として迎えると公言していた。それが自身の勇気の無さで更生させることの出来なかった小泉正彦へのせめてもの供養になると信じた。

タケは極度に認知症が進み、老人ホームに入った。そしてメイは時々顔を出す。ホーム内では婆ちゃん孝行の孫娘で通っている。
でも実は、その通りなのである。
そんな事実も知らぬまま、タケの意識は遠い向こうに行ってしまった。

それでいい。それでいいのである。今が幸せであるならば過去はどうでもいいのである。そうヒデは思い、今のひと時は自身の血を考えるのは止めようと思った。
皆の幸せのためにヒデは生きなければならない。
刀たちの声も聴いてやらなければならない。
本物の研師であるヒデの聖戦には終わりはない。
明けぬ夜は無いと信じ、いつか息の絶えるその日までヒデの聖戦は続くのである。



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