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研師(とぎし)ヒデの話「ヒデの聖戦」その4 ヒデの知らぬ記憶

ヒデと智は、智の爺がタケに譲渡したアパートに向かった。
途中ヒデは智に問うた。

「あのアパート、地下2階になってたな。どんな意味があると思う?」

「えっ、気がつかなかったけど」

そう言い智は街灯の下でデイバッグから登記簿を取り出して、よく見てみた。
そこには鉄筋コンクリート造、地上4階、地下2階と明記されていた。所有権者の欄にしか目がいかず、自分の勘が当たって少し得意になっていた智は自分が少し恥ずかしかった。

ヒデは続ける。

「普通のアパートに地下なんか必要ない。施工費が高くなるばかりだからな。何を考えて建てたのか爺さんに聞いてみないといかんな」

そこでは今、間違いなく何かをやっている。ヒデは智とタケを帰らせた後に万能塀の間から出てきた智より若い女の話をした。団子刺に「気をつけろ」と忠告されたことも言った。フクという不思議な猫のことも智に教えた。

今、智がアパートに向かうのは好奇心もあれば、育ててくれたタケが抱える何かを知りたかったからである。認知症のタケがあれだけ隠そうとするものが何であるか知りたかった。そしてできるものならばタケを楽にしてやりたかった。実母を知らぬ智には育ててくれたタケは母親そのものだったのである。

ヒデには焦燥に駆られた義務感のようなものがあった。智には行きがかり上のことと言うが内心は違った。あそこに引き寄せられている自分がいるのを分かっていた。何もかもが既にでき上っていて、昨日の夜、マルの店であのアパートの話を聞いた時からここにいることも、この先に起きることもすべてはすでに決まっているのであろうと思っていた。
加えて団子刺の言葉である。「とんでもないことに首を突っ込んだ」の一言である。何もかもを見通す団子刺はそれ以上はしゃべってはくれないが、これは裏返して考えれば、ヒデが決して避けて通ることのできないこと、と言いたかったのであろう。

そしてヒデは智には決して口にできないが、あの「赤い夢」が関係していると漠然と思うのであった。


実は今回の事件はヒデの過去、いやヒデの先祖の過去に遡る。

ひとつどうたちゃひとつどう
ふたつどうたちゃふたつどう
とおくおえどのあささまはみっつかさねてみっつどう

そこには子ども達はその意味も知らずにこの数え歌を口ずさんで遊ぶのどかな昼下がりの時間があった。

その昔、戦国の世は過ぎ去り泰平が訪れて、人は皆、平和ボケしてしまった頃の京の北の里にヒデの曾祖父は生まれた。
その土地には代々人を斬ることを許された人斬り浅右衛門の剣を生んだ祖の出た里だったのである。
山田浅右衛門は代々幕府の御様御用おためしごようという職に就き、山田家の各代当主は安寧の天下でありながら唯一人を斬ることを認められた男達だった。

山田家は代々その祖である京の北の里と縁を途切れさせることなく交流を続けていた。祖を敬う武士の礼に忠実な行いのようにも思えるが、これは一つには「御様御用」と聞こえは良いものの、その役は死刑執行人、首切り役人であることに関係した。
山田の本家血筋、子孫からその首切り役人は出したくはなく、剣の筋の良い信用のおける男に名ばかりの当主を務めさせたかったのである。

不思議に思えるが、家禄の無い浪人の身分でありながら山田家の収入は莫大であった。
それには理由があった、死刑執行した咎人とがにんたちを試切りと称しながら切り刻み、それによって刀剣の切れ味を武家たちに剣の能力の証明として売るという特殊な収入源を持っていたのである。
武家たちにその刀剣の切れを確かめた「一つ胴」、「二つ胴」の銘を売り報酬を得ていたのであった。斬首した罪人を二つ重ねてすっぱり切れれば「二つ胴」としてその刀剣のステータスとなるのであった。

何も知らぬ子ども達が歌うのは

一つ胴断ちゃ一つ胴
二つ胴断ちゃ二つ胴
遠くお江戸の浅様は三つ重ねて三つ胴

と、歌う歌は腑抜けた天下泰平の世に生きる武士たちが本来の自分たちの生き方を忘れてしまいながら、ただ単に見栄のためにニセの人斬りのレッテルを己が刀に貼らんがためのなんとも残酷な歌だったのである。

しかも、山田家が稼ぎにしていたのはこれだけではないのである。
人胆丸じんたんがん」や「山田丸やまだがん」とも呼ばれた生薬だったのである。生薬と、聞こえは良いがそれは死薬、いや「死人薬しびとやく」だったのである。

そうなのである。山田家では試し斬りした咎人とがにんたちの死体を腑分けし、そこから取り出した肝臓や胆のう、脳を使って丸薬を作り売っていたのである。当時、労咳(結核)に効能があるとされ広くもてはやされたようであるが、他にも効能はあるようであった。

泰平の世はろくでもないことをしでかす。世の中は金で回り、善悪は金によって判断される。こんなことがまかり通っていいのかと思うが、甘い汁を吸うことができれば首を横に振る奴などいないのが古今に限らず世の常なのである。


そして二人はアパートを囲む万能塀の前に立つキャリアカートを引くタケを見つけた。

後ろから智はそっとタケの肩に手をかけた。

「婆や、僕だよ」

振り向いたタケは昨日の優しいタケの顔じゃなかった。
智は思わず後ずさってしまった。
そこには鬼の形相の小泉タケがいた。

「坊ちゃん、二度と会わない。二度とこちらに来ないって約束したでしょ」

「何言ってんだよ。僕が困ってる婆やを見捨てるわけなんかできないに決まってるだろ」

何かを思い詰めたような鬼の形相のタケは明らかに認知症の病魔に侵されていた。
まともでないタケをそこまで駆り立てるものが何なのかを智にもヒデにも分からない。
でもこのままには出来ない、このままにしてはならない何かを二人は感じていた。
そしてヒデはここでまた赤い夢を思い出していた。

そこに出てきたのはあの若い女である。
万能塀の内から心配そうに声をかけてきた。

「タケさん、どうしたの。何があったの」

ヒデは黙って万能塀の内に入っていった。

「あんた誰なの?」

さっきの声とは違う低い遠くに聞こえはしないが至近に伝わる声で話した。

「俺はタケさんが育てた智って男の友達だ」

いきなり戦闘態勢に入っていた若い女はヒデの頬に右手刀で横殴ってきた。
ガツン、ではなかった。
ビキッと手刀は頬に食い込むかに見えた。若い女の筋肉質の細い手は木刀と変わらぬ威力を持っていた。
そこにすかさず左のフックは木刀の突きのように肋に刺さった。
ヒデは肋骨が折れるのを感じ、女も折ったことがわかっていた。
しかし、ヒデはただ立ったままなのである。
女はヒデの対応のおかしさを感じそこで止めたのである。

ヒデはここに来る前から決めていた。この女が素手で来るのであればそのまま迎えようと。今まで対峙したことの無かったヒデの「無構えの構え」に女はひるみ、戦意を失った。

そこにである。智のデイバッグの「猫姫」がカタカタと抜けと言うように鳴り始めた。そしてヒデの言葉を思い出して智は猫姫を抜いたのである。

「ギャオ~ン!」それは猫ではない、猛虎の雄たけびそのものだった。智は驚き、女も固まった。すると「フク」と呼ばれていた三毛猫がどこからともなく飛び出してきた。

「姫様、三毛猫ぶーにございます。ご無沙汰いたしておりました」

フクは猫姫に膝まづくかのように智の前に伏した。そしてしゃべる言葉を聞いて女は驚き、タケも目を丸くしていた。
それから猫姫は口を開いたのである。

「メイよ、そなたはここまでよく頑張ってきた。よくも一人で生きてこれた。この先はこのヒデ様に任すのじゃ。何もかも任すのじゃ」

そして猫姫は口を閉ざした。タケとフクしか知らぬ自分の名をあの小刀は口にし、フクはまだ小刀に向かって伏していた。
この世のものと思えぬ会話とフクの様子を目にし、無構えのヒデの受けに、女はすべてを受け入れないわけには入れなかった。

ここでメイと呼ばれた若い女はタケの懐に飛び込んで泣いた。タケはメイの涙を初めて見ていた。わんわん泣くメイによかったね。これでよかったね。と何度も言っていた。
メイは女の子である。やっと普通の女の子となれる日が来るかも知れない、そう思うとタケの目からも涙が落ちた。
メイ、15歳の秋であった。


明日に出荷を控えている。
この先ここにタケの実の息子である小泉正彦が登場する。
信じられない驚くべき事実とともに。


ヒデは本物の研師である。
泰平の世に無用の刀の研ぎをする本物の研師である。
こんな世に何故刀剣が存在しているのだろうと研ぎをしながら思うのである。



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