黒帯の二人
昨日も仕事を終えて合気道の稽古に天王寺まで行った。
改札を抜けるといつもごった返す人たちは先週の三分の一ぐらいしかいない。なんだか閑散としている。人間の主体性の無さ、秩序の欠如に驚く。
稽古も人が少ない。新型コロナで子ども達もご父兄も大変なようである。
これだけ感染者数が増えてくると小学校の対応も各家庭の対応もまちまちであり、みなさん混乱のなか日々の生活を送っているように感じた。
結局は変わらぬ考えの基に一つを貫くことが大切なような気がした。
そんななか、この二人は黒帯を締めての初めての稽古だった。
私が大学で初段をもらい、先輩から黒帯を贈ってもらった時のことをよく憶えていない。しかし、その時期に合気会で行われた関東学生合気道連盟のリーダースキャンプで千葉県勝浦にある武道館研修センターまで一泊で行かされたのを憶えている。大学三年の新初段ばかりが集められての座学と実技の研修だった。関東一円数十校の大学合気道部の連中が集まるなか、私たち同期三人だけが白帯だったのである。記憶にはっきり残っていないのだが恩師市橋紀彦師範を先輩か私たち三人が怒らせてしまい、審査はとうに終わっていたのだが初段の免状を止められていたのだ。青山学院、明治の同期達はそんな事情をよく知り同情してくれたが、なんとなく恥ずかしさがあったのを懐かしく思い出す。今なら何とも思わないだろうが二十代の私たちは見栄が先に歩く子どもであった。厳しく私たちを指導してくれた市橋先生は社会に出て生きて行くことをいつも考えていてくれたように思う。今は感謝ばかりである。
小学生のこの子達もいずれは成人して社会の一員として生きて行かなければならない。生きる基本を私たちは教えていかねばならないとあらためて思った。二人はいつまで合気道の稽古を続けることが出来るか分からないが、私が贈った黒帯を締めたこの日のことはずっと記憶に残してくれると思う。合気道をやめてもこの感動と、ここで教える普段の日常と違う空気は憶えていてくれるだろうと信じている。素敵な大人に成長してくれることを願った。
稽古を終えて、所属する合気道の上部組織の集まりに行った。年に一度正月に六段以上の段位が允可される(認められ許される)。それのお披露目である。通常は新年会もあるのだが昨年に引き続いてそれは中止、五段、六段の演武の披露だけが行われた。各人の技の考え方、合気道の考え方を感じて酒も飲まずに一人とぼとぼ帰って来た。
いろいろ考える一日だった。
合気道を『畳の上のことだけではない』と言った市橋先生の言葉を思い出す一日だった。
しかし、この年齢で夜の仕事のあとの稽古や雑事は身体にこたえる。
帰って晩飯を少し口にして死んだように寝た。