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通天閣のおもいで

今は亡き『フェスティバルゲート』ってのを知る大阪の若者は少くなったのではないだろうか。

大阪では固有名詞を関東方面とは違った縮め読みをする。
『ミスド』、『マクド』のように『フェスゲ』であった。

『フェスゲ』は1997年、私がゼネコンで営業マンをやっていた頃開設された当時流行りのアミューズメント型商業施設であった。
新今宮辺りの特殊性を大阪に赴任して一番最初に知っていたので「こんな場所でこの事業は成り立つのか?」非常に興味を持っていた。
そして、1997年は開園と同時にバブル崩壊であった。

日本三大ドヤ街である東京の山谷、横浜の寿町、そして大阪のあいりん地区、このあいりん地区と一体のこの新今宮エリアを大阪市は変えたかったのだろう。
大阪市交通局の土地を利用しての事業だった。
場所と言い、事業の内容と言い大阪らしいノリで『やってみなけりゃわからない。ダメならダメで仕方ない。』てな感じだったのではないだろうか。
当時の大阪市長の磯村氏は確か経済学者だった。
バブルの行き着く先は誰も想像出来なかったのだろうか、考えたくなかったのだろうか。
知事はあの横山ノックだった。

建物にジェットコースターの張り付いた不思議な建物であった。
縁の無いジェットコースターと思っていたのだが、実は一度だけ仕事中に乗ったことがある。
会社の人間が世間を揺るがす事件を起こした、その時会社に戻るなと、たしか当時持ち始めたPHSに伝令が走った。
ゼネコン時代に経験した二度あった御上の立ち入りの二度目だった。
つかまってしまったら、ほぼ次の日まで会社から出してもらえない。
私たちを気遣っての社内の女性からの伝令だった。

そして、私は外に出ている若い営業マンに連絡して来れる営業マンを『フェスゲ』に集結させた。
まっすぐ家に帰った先輩達もいたようだが、時々妙に生真面目な私は新世界で定時まで時間を潰すことを考えたのである。
でもやった事と言えば、通天閣に登ったのと、昼から『フェスゲ』の回転寿司屋でビールを飲んで調子に乗ってジェットコースターに乗っただけである。
施設見学と銘打ってのことである。

不思議な時代だった。
毎晩酒を浴びるほど飲み、若さもあってなんでもありだった。
後日、この『フェスゲ』の土地信託事業の責任者だった男と話したことがある。
東京から赴任したばかりで新今宮という土地柄を知っていたら手を付けなかったと言った。
聞いてため息しかでなかった。
いとも簡単に数百億円の金が動いてシャボン玉のように弾けて消えたのである。
まさしくバブルであった。
不思議な時代だった。
駅の真ん前である跡地は今、パチンコ屋と量販店となった。
なんとも大阪らしいとしか言いようがない。

その頃整備され、新世界辺りがきれいになったのは、よいことだったのだろうか。
大阪に来たばかりの頃は男の私でも身構えて歩いた記憶がある。
今は女の子一人で歩いても平気な街になっている。
星野リゾートがやって来たのも正解なのだろうか。
いい意味での大阪らしさが薄らぐような気がする。

ただ言えるのは、あの街が変われば変わるほど私の知る通天閣の思い出は濃くなっていくことである。



見つかった証拠のシール写真、私の右側は営業部後輩の長谷川君、今はこのオデコがさらに広がっていると聞く。

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