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わが故郷

愛知県豊川とよかわ小坂井こざかい町、私が高校時代、両親が晩年過ごした土地である。
2010年『平成の大合併』で豊川市に編入したが、それまでは愛知県宝飯ほい郡小坂井町と言った。
宝飯ほいはその昔、『穂国ほのくに』と言ったそうだ。
三河平野には奥三河の段戸山だんとさんを水源とする豊かな豊川とよがわがあり、米の取れる恵まれた土地だったのである。徳川家康の岡崎は隣町であり、長篠の戦があった長篠城跡は子どもの頃の私たちの自転車での行動圏内だった。
今は天下のトヨタ自動車、スズキ自動車、東隣には浜名湖湖畔のホンダ、ヤマハと大企業の庇護のもとに私の幼馴染はこの関連で働く人間が多い。

私は高校3年間と魚市場に勤めた2年間をこの小坂井町で生活した。
上京してその後ほぼ立ち寄ることは無かった。
10年少し前に両親の認知症による介護、最後の看病、障害を持つ兄の介護と、一家総崩れになってから月に二度、最後あたりでは毎週マイカーで、新幹線で仕事の都合を見つけて帰った。

実生活を送った期間の倍以上を介護と看病、三人の身の振りを定めるために故郷に帰ったことになる。

私の時間は極端に少なくなったが、行き帰りの道中はいつも楽しみを作り、何か面白いことはないかと考えていた。

自家用車より新幹線の移動の方が楽しかった。
新大阪からはいつも一番の『こだま』か『ひかり』に乗り豊橋で降りた。
いつも最後部車両の一両手前の15号車最後部の三人席の真ん中に一人で座った。

『こだま』に乗るといつも写真のようにガラガラである。
途中ぽつぽつと乗客が増えるが、豊橋駅までいつもこの三人席を一人で占有できた。ちなみにこの三人席真ん中の席B席は左右AC席よりも確か5センチ近く広い。
ここでは仕事はせず、いつも読書か仮眠と決めていた。


豊橋駅で飯田線に乗り換える。長野県の辰野までほぼ単線のトンネル数の多い路線である。
豊橋はターミナル駅である。
この雲の下の山々はそのまま南信州、南アルプスに続いていく。


豊橋駅から4つ目の駅『小坂井』
ちなみにこの小坂井町、1つの町内に3つの駅を持つ。
地方都市では珍しいのではないだろうか。
このJR飯田線『小坂井こざかい』駅、JR東海道線『西小坂井にしこざかい』駅、名鉄本線『伊奈いな』駅である。
東海道線は三河湾沿いを走る。東海道線敷設当時の国鉄は現在の名鉄本線とほぼ同じルートを計画していたが地元の反対で三河湾沿いになったと高校の社会の教師から聞いた。まだその頃は鉄道というものの認識が浅かった時期だったそうだ。
それが一時は仇となっていたであろうが、名鉄のおかげで今の地元は助かっている。

名鉄本線。


ずっと気になっていたおかしな看板。
『街を明るくする会』である。
立ち止まって見上げていると通りがかりのおじいさんが「ずいぶん前の物だよ。町には十分街灯は増えたから。」と教えてくれた。
おかしな団体の宣伝ではなかった。
よく見れば町の商工会の名があり、その上にはセンスの良くない街灯があった。


この時期に行くと彼岸花があちこちで咲く。
私はあの真っ赤な曼珠沙華があまり好きじゃない。
こんな淡い色の彼岸花が母が死んでから好きになった。
優しく母を天に誘ってくれたんじゃないかと思う。


帰りはいつも三人席に座り一人酒を飲んで帰った。
本を読み、考える自分の時間だった。
必ず、新大阪終点の『こだま』に乗った。
車掌さんに何度も起こしてもらった。

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