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やっぱり野良がいいかな

これを目にする方に猫好き、動物好きな方が多いと思います。
我が家のブウニャンは三毛猫、19年生きて来たおばあちゃんです。
時々彼女を登場させてきましたが、ご存じの方はご存じのようにそろそろ天寿を全うするようです。

両親、知人、多くの人間の死に立ち会ってきましたが、この小さな生き物の最期を見守るのが一番辛いかも知れません。二年前に兄弟のトラ猫が我が家で最期を迎えました。じつは私の猫の看取り体験はその一匹だけです。子どもの頃から愛知の実家で何匹かの猫と生活をして来ましたが、そいつらはほぼ半野良状態で、好きな時間に自由に出入りをしていました。キジ猫のブチなどは二階の私の部屋の窓を自由の世界の出入口にしていました。

そして、彼らは自分の死期や周りの異変を感じるとどこかに消えていきました。だから、猫の死を目にしたのはブウニャンの兄弟のトラが初めてでした。犬やチャボ、ジュウシマツ、金魚や鯉を飼いましたが、そいつらはまさしく「飼っている」って感じで完全に私たちの管理下での「生」でした。
でも当時のブウニャンたちは家には帰って来ますが、家でメシを食いましたが、私はもう一軒くらい我が家のような場所を確保して自分たちの都合で行き来してるんじゃないかと、思っていました。それくらい自由な生き方をしていました。そして、少しだけそんな生き方に憧れたりもしました。
しかし、今は完全な家猫となり彼らの「生」は完全に私たちの支配下なのです。これが良い事なのか良くない事なのかいつも考えていました。

トラとブウニャンは両親が飼っていた親猫が産んだ二匹です。その二匹を両親が飼えなくなり大阪まで連れて来ました。愛知の田舎とはがらりと違う環境です。家猫になってもらうしかありませんでした。その時点でいずれやって来る二匹との別れは当然予測がつくものでした。悲しい別れだと想像つきますから、家の中では互いに空気のような存在でいるように努めて来ました。トラがこの世からいなくなった時、いつもそこにいた奴がある日突然いなくなるのはそれなりにこたえるものがありました。
それは悲しさよりも寂しさかも知れません。
黙っていなくなるんですから。

トラと同じで、ブウニャンも強い生を持った猫のようです。簡単に楽にはなれそうにありません。体調は悪いのでしょう。ずっと寝続けることは出来ず、起き出しフラフラと水の皿の前まで行き飲もうとして諦め、トイレで安心して寝てしまいます。
昨日は家にいた私に目で訴えました。「お前の部屋に連れていけ」と。
私の陽の当たる部屋が気に入ってました。でも、もう二階まで登ることは出来ません。私に抱かれて二階に上がりそっと私のベッドに上がると安心して眠り始めました。一階では何度もフラフラしながらトイレや水の皿まで出てくるのですが、私の身体にくっついたまま二時間ジッと寝ていました。
そして、そっと窓を開けてみました。もう冬を感じさせない冷たいけれど心地よい空気が流れ込みました。ブウニャンは重たい頭を上げて鼻をひくひくさせました。私には何かを思い出しているように見えました。その時私は思いました。やっぱり野良がいい、もしも猫として生まれ変わることがあるならば野良猫がいいと思いました。

食べるものときれいな水、そして温かな寝床のある生活よりも日々のスリルと自由にあふれた生活を選びたいです。
彼女の生きている世界は、所詮私たちの自己満足のなかで良かれと思い整えている環境です。なんだか思い上がっているんじゃないのかな、と考えてしまいました。
ブウニャン達ばかりではなく、人間相手でもそんなことをしているんじゃないかなとブウニャンの寝顔を見ながら考えました。

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