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のような記憶

夕方、我が家の愛猫ブウニャンをつれて近くの動物病院まで行った。
帰りにいつもと違う道を通った。
知らない道を通るのが好きである。
しかも黄昏時に自転車で走るのは不思議なことが起こりそうな予感がする。

辻々で通りをのぞき込み何物かの存在を確認するが何も無い。
なにかいればミケ猫ブウニャンが唸るであろう。
忍び寄る夕闇、人のいない通り、それだけで十分である。
何が出てきてもおかしくないのである。
そんななんとも説明しがたい情景が私の記憶のどこかにあるのだ。

そして、出会った公園。
久しぶりに子どもたちの遊ぶ公園を見て不思議だった。
それは私の記憶の引き出しの一番奥の隅っこあたりにある夢の情景に似ていた。

その昔、難波津、四天王寺から法隆寺に続く街道として整備されたエリアで聖徳太子にゆかりがあり、この地域の住所は太子堂となっている。
そんな場所に流れ流れて落ち着いている。
よくは分からないが、千年以上も前に私はここらで生きていたのかも知れない。

その頃とはまったく違う風景であろうが冷たい空気と落ちていく陽、子どもたちの声は遠い昔の記憶に違いないものだったのである。


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