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私の記憶

それはまだ私が春風だった頃のことである。
遠い山からこの街にやって来た。
すべては新鮮で心浮き立つことばかりであった。

アパートの開け放した窓から入り込むとそこには生まれたばかりの乳飲児をあやす若い夫婦がいた。
親が子に注ぐ愛情ほど温かなものは無い、そこには私の出番は無いようだった。
そっと子の頬を撫でてその部屋からは出た。
甘いお母さんの香りは私に遠い昔を思い出させた。

公園では女の子が泣いていた。
小学校で心無い言葉を投げかけられて泣いていた。
帰って話の出来るお母さんがこの子にはいない。
つらいこの子のそばにいよう。
しばらくこの子に付き合おう。
お母さんがいないことであらぬ言葉をかけられたようだ。
子どもは正直だから口に出してしまうんだよ。
お母さんがいなくて何が悪いの。
きっとその子はお家で今頃後悔してるよ。
心無い言葉で傷つけてしまった、と。
だからね、明日あやまって来るだろうから許してあげなさいね。
この子の頬も撫で涙を拭きそこから離れた。
二人は次の日から仲良しになって、その後もずっと仲良しだった。

若いサラリーマンが午後公園のベンチに座っている。
「これこれ、君、こんなところにいてもいいの」
「向かない営業やっていて今日はこのままじゃ会社に戻れない」
「若さってなんだかわかるかい」
「若さってのは無限の可能性があるってことなんだよ」
今がすべてじゃないと気づいた彼は会社に戻って上司と話したそうだよ。
会社に残ったのか辞めたのかは知らない、それは彼が決めること、長い人生のなかでのほんのしばらくの時間だってことに気付いたみたいだ。
春の息吹は彼の背筋を伸ばして彼を前に歩かせたんだ。

夕方の公園のおばあちゃんが寂しそうだった。
連れ合いは先に亡くなり、子ども達は遠くで自分たちの生活に追われているという。
彼女にはぐっと息を止めて冷たい春風になって背中に入ってやった。
「あー、寒い寒い、早く帰らなきゃ」
おばあちゃんは一人だけれど、温かいご飯を食べて明るい気持ちを取り戻したんだよ。
お腹が空いてたら楽しいことは考えれない。
週末には孫たちを連れた娘さんがやって来たみたいだよ。

私はこいつとはいつでも話が出来る。
たぶん、生まれる前は私も野良猫だったんだ。
自由に生きる野良猫だったんだ。
こいつには何を言っても鼻を上にあげヒクヒクさせて「ふんふん」だ。
私が仲間だってわかっているからずっと「ふんふん」だ。
でもそれでいい、わかり合えるってそんなもんだ。
言葉なんていらないよ。
言葉の無い会話だってあるのさ。

毎年この時期、この街にやって来る。
そのたびに多くの記憶が私の引き出しに詰まっていく。
私の仕事はみんなとの会話、言葉の無い会話なんだよ。
春ってのはそんな季節、誰もが前を向いて歩き出すことの出来る季節なんだよ。
とりあえず、まだ定年は来ないみたい。
また来年もやって来るからね。

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