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日記のような、びぼーろくのような

先日、帰りに京都駅で降り、旧知の先輩に誘われ久しぶりに古都京都の散策をした。
京都の紅葉はずいぶん目にしてきたが、最近のこの時期の紅葉感が分からない。
まだ極彩色の誰もが想像するような樹々の葉ではなかった。
焼けたようなお世辞にも美しいとは言えない赤黒い茶色の葉が目立った。
これから本格的な紅葉の時期を迎えるのであろうが、なんだかそんな予感をさせないところが以前と違うような気がした。
でも、そうでなければここに立ち続ける樹たちが可哀そうである。

70代と80代になる先輩お二人とお会いした。
かくしゃくとして私の前を歩かれる。
次にいつお会いできるかわかりはしない。
特にニューコロナは空白の時間を作ってしまった。
この間に二度と会えなくなった先輩もいる。
また、そんな事態が来るやも知れない。
そう思い歩きながら先輩たちの話をしっかり聞き、心に残した。

ある意味よい時代を駆け抜けることの出来た方々である。
もう無くなってしまった、繋がる心で作り上げてきた当時の仕事を懐かし気に話されていた。
今の時代にそれを応用できるかどうかという問題は残るにせよ、過去を知る、歴史を知ることには大きな意味や意義がある。
そんなことを大切に私はサラリーマン生活を送ってきたが、瞬時に利益を産み出すこと求められ、目先のことしか考えれない今の後輩たちにそんな過去の遺物のようなものは必要ない。
むしろ、めんどくさいのみである。

京都駅前の王将でたくさんの話とともに餃子を山ほど食べ、ビールを腹いっぱい飲み、この歳になれどすべてごちそうになり、短時間の再会を惜しみながら京都駅を後にした。

それから帰る途中、天王寺では飲み屋時代に世話になりっぱなしで、あの世に行ってしまった大先輩の『お別れの会』が催されていた。
大先輩は黒いリボンのかかった額の中に納まっていた。
ああ、本当に逝ってしまったんだなと実感し、ハイボールを腹いっぱい飲んだ。

逝去されたひと月ほど前の手書きの手紙には、お客さん、関係者、従業員への謝辞と「これからも店をよろしく!」と最後の最後まで商売人としての姿を私に見せてくれた。
手を合わせ、邪魔にならないように早々に退散した。

電車に乗り込む前に、あまりにあっけない宣言解除後の気になるお店をのぞいた。
私が店を出していた地下にあるワインバーである。
さすがにここの先輩も生命力の強い方、ひょうひょうとしていつものように迎え入れてくれた。
なじみの顔もちらほら、みなさん元気のようであった。
ここでは腹半分ほどのワインを飲んで再会を口にして天王寺駅に向かった。

一見幸せそうに見える普通の以前と変わらない日常がそこにはあった。
世の中がどうあろうとも時間は流れて人は老いる。
この二年で大きく生活を変えることを余儀なくされた方はたくさんいるであろう。
なにがしかの影響は誰もが受けているであろう。
でも、今が現実で、この現実を受け入れて前に進むしかないんだなと思う一日であった。

旅立たれた尊敬する飲み屋の大先輩

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