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ながいつぶやき

私の前からまた星が落ちた。
生きる意味を失う時ってどんな時なんだろう。
私は家族の介護、看病を一手に引き受け、こんなことのためだけに生きるのであれば生きる意味が無いと思ったことがある。
でも、ある事がきっかけで吹っ切れた。
それからはテキトーだった。
楽しみながらやって来た。

真面目に考えると人が生きるのは難しい、難し過ぎて生きづらくなる。
ハスに構えてテキトーに、たまには真面目に考えながら自分と家族、仲間の事を考えて生きればいい。

風の噂それだけでは、彼が何を悩んだのかはわからない。
人の気持ちを考えることの出来る優秀な男だった。
最後のサラリーマン時代、私も彼が出向していたその会社で苦労した。
関西の鉄道会社の傘下であるその子会社で私も苦水をゲロが出るほど飲まされた。

以前もここで書いたことがある。
ある大学の役員から君のグループ会社のバスの増発をしてくれ、と頼まれた。最寄駅からの学生の通学の足となる路線バスの増発をして欲しいとのことであった。途中、古くなったニュータウンもあり、マイカー利用が出来なくなった年老いた住人の利用客も喜ぶ話で前向きに進むものだと思った。
しかしそうはならなかった。
学生は春夏の休みが多く手間がかかり過ぎる、駅前のバス停の問題もあると逃げる。
本来、鉄道事業者の使命・責務にある地域住民の利便の向上、そのための莫大な費用のかかる鉄道の代替がバスである。そんな大義名分のもと走らせるバスの利用客から運賃を巻き上げ飯を食っている社長の口から「なんという話を聞いて来たんだ」「お前はどこから飯を食わせてもらってるんだ」となじられた。親会社から出向しているどの子会社の社長も使う常套のセリフだった。
彼等は任期中をなるべく何もせず、可もなく不可もなく卒業して法外な退職金を手に出来たらいいのである。創業者の持ち合わせていた奉仕の心の一片も持ち合わせていないのである。

思い立ってしまった理由は分からないが、自分で命を止めた時の気持ちは想像つく。
大学では野球部だったと言っていた。「今日も生涯の一日なり」と言った創設者は嘆いているに違いない。真面目過ぎて逃げることが出来なかったのであろう。テキトーにやり過ごすことが出来なかったのであろう。
逃げることを教えてやりたかった。テキトーでも生きていける生き方を教えてやりたかった。
決してそれは逃げではない、それは生きるための選択肢の一つなんだと教えてやりたかった。

気楽に昼間から酒を飲んで話をしてみたかった。
世の常識など通用しないこの世の中で誰が昼酒を禁ずることが出来るのであろう。
考え方、気持ちの持ち方の違いだけなのである。
時間の使い方の違いだけなのである。

その時間は巻き戻すことは出来ない。
だから、つぶやきはここで終わろう。

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