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かんがえるネコ

長くネコと生活してきた。
なんとはなしに物言わぬ彼ら彼女らの考えることは分かるような気がする。

人間の『生る』の基本は『食う』『寝る』『出す』である。
ネコも同じである、それを頭に入れておけば猫との会話も成り立つように思う。
ただ、長く付き合うとそれ以上の感情が伝わってくるのがわかる。
たとえば『好き』か『関心が無い』のどちらかが伝わってくる。
私の付き合ったネコたちからは『嫌い』という感情は伝わってこなかったように思う。
それは、彼ら、彼女らが私たち人間に頼らなければ生きて行けない弱い生き物という宿命を理解していて、見せかけでも好意を持ったふりをしているのかも知れない。

そして、飼猫の場合、いつか別れをしなければならない。
それもたぶん、私が見送ることになる。
だから私は猫可愛がりはしないようにしている、お互い空気のような存在なのである。

今の職場に通い出して二年になる。
最寄駅から歩く途中、時々出会うヤツがいる。
勝手になんとなくオスだと思っている。
写真はなかなか撮らせてくれない、視線を感じあたりを見回すと必ずヤツがこっちを見ている。
風呂に入ったこともないのだろう、あまりきれいじゃない。
アシンメトリーの神から与えられた着衣に魅力を感じる人間は少なかろう。
何かを言いたげに私を見てしばらくするとどこかに去っていく。
「どこかで会ってるなぁ、、、」と、最近思っている。

そのうち、それがわかるかも知れない、わからないかも知れない。
どちらでもいいのである。
昔付き合いした誰かの生まれ変わりかも知れないがどうでもいい。
そこにネコがいる、自由気ままに歩き回るネコがいる。
それが大事な、私には大切なことなのである。

官界、産業界が目指すAIが管理、コントロールするスマートシティ、皆が理想とする街に、ノラ猫は住ませてもらえるのだろうか。

案外、彼はそんなことを考えているのかも知れない、、


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