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京都西山大原野の日常に思う

内陸のしかも盆地の京都市内は暑い、いや熱さを感じる。
そんななかをNPO法人京都発・竹・環境ネット(通称NPO竹ネット)の手伝いに通っている。
どうもこの竹ネットの所在地である『大原野』という地名を出すと、まだ移り住んで日の浅くない京都在住者でも大原三千院の『大原』を思い浮かべるようである。
大原三千院は京都市左京区大原来迎院町というなんとも神々しい地名に位置するお寺である。
私が通う『大原野』は京都市南西部にある西京区に位置する。

京都の地名は分かりやすい。特に古い地名は分かりやすい。狭い京都の市街地の北に位置する御所を起点に考え、南に向いて左側(東)が左京区、右側(西)が右京区になる。そして通りは御所に近い北から南に向かって一条通り、二条通りと下がっていき、京都駅南口の通りが八条通り、その先に九条通り十条通りとなる。その昔、京の都の入口であった羅生門はこの九条通りにあったのである。まだ身分の差のあったその頃、御所に近い場所である一条通りに皇族・公家が住み、身分の順に南に向かって住む場所が差別されていたのである。京都で北から南に向かうことを「下がる」とか「おりる」と言うのにはそんな過去の意味が残っているのだと思う。

御所を挟んだ左京区右京区は京都市の区のなかでも非常に面積が大きい、この右京区の南端に西京区は貼り付いている。
『西方浄土』なんて言葉がある。この西山や嵐山方面が浄土なのである。対となる東山には寺と墓が貼り付いて、東向きの墓に向かって、ということはこの西山に向かって皆さん手を合わせるのである。

今年、竹ネット設立15年だった。
理事長と出会ったのはそれから10年ほどさかのぼる。その頃は理事長も私もスーツ姿で東山の麓、生臭坊主の通いやすい位置に出現した繁華街の祇園で飲み食いをしていた。理事長は公職の身、私との付き合いは本来ならばならぬ身であり、あらぬ疑いを避けるために私は財布を開くことは無く理事長の扶養家族のようにいつもそばにいた。

理事長が公職から離れたのは50歳だったと思う。それから一貫して環境に関しての事業に携わってきた。根っからのいい意味での役人気質を身に付けた人なのである。京都の南部から北部の舞鶴、宮津で竹を伐り、その処理を考えてきた。多くの学識者や企業とともに考えてきた荒廃放置竹林の整備と廃棄竹林の有効活用である。

日本において当り前であった天然素材である竹林の活用は、化石燃料がもとの石油製品に押され誰もが見向きもしなくなった。それが環境破壊のもとになることは初めから分かっていたことであろう。それに目を瞑り行政も企業も国と自社の繁栄だけを求めて走り続け、今すべてを負の遺産として私たちの子どもに引き継がねばならなくなってしまったのである。

荒廃放置竹林はその詰まり過ぎた地下茎が降雨を適度に地中に吸い込ませることが出来ず、昨今の極地豪雨で出水や竹林一面での地滑りも懸念され、防災事業としてどこの行政も頭を痛めている。
環境重視の風潮が高まり、竹材の食器や日用品も最近出回るようになってきたが、多くは安かろう悪かろうの海外産の竹の使用である。
これでは国内の荒廃放置竹林整備が進むはずがない。
もっと一般の理解が必要である。

さまざまな問題とぶつかりながら多くの前向きな人と出会い、様々なノウハウを身に付けてきた。メイドインジャパンの竹の有効活用を高級乗用車の内装や高級バッグの持ち手に利用するばかりではなく、私たちの日常生活で利用しなければならないのである。竹材の買い物かごや竹ぼうき、竹皮の草履など50年前に当たり前にどの家庭にもあったような日用品が今は目を剝きたくなるような金額で店頭に並んでいる。
しかし、私たち皆が使えば価格は下がり、地域の地場産業ともなり、荒廃放置竹林は美化整備されて、美味しいタケノコも生まれる。こんな部分だけでも50年前のスローな時代に巻き戻したいのである。

我が竹ネットの理事長の思いは崇高であり、一貫している。でも人にそれを押し付けることは無い。本当の役人にはこんな方は多く、「1+1=2」でなくとも良い人で、白黒ではなく灰色を理解する人なのである。
この理事長がいて、ここまでやって来たが、理事長もいつかはこの世を去らねばならぬ時が来る。
今、真剣にそれを考えねばならぬ時がやって来ている。
理事長はそのことをずっと考えてきている。私はある意味冷めた目で側面から見ながら考えている。
でも、もう少しよく見ようと思っている最近である。個人の所有ではないこのNPO法人をさらにパワーアップさせるためにどうしたらよいのか、私に出来ることは何であるのかを考えている。

でも、理事長も私も義務感では動いてはいない。好きだから、面白いからやっているのである。
私一人に関して言えば理事長への義理があり、親分子分のような切るに切れない言葉に表現できない感情もある。
だから、さあ、もうひと踏ん張りしようか。

てなことを考えながら阿倍野の夜に沈没して長い一日を終える。
歳のわりには元気だなぁ、と自分のことをそう思う。


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