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研師(とぎし)ヒデの話「ヒデの聖戦」その5 血の記憶

ヒデは研師とぎし、裏の世界で名を知られる本物の刀の研師である。
刀は本来、人を斬る道具である。
刀は美術館に展示されたり、愛好家の手元で慰み物になるために生まれてきたわけではない。
見せかけの平穏な今の世に、泣く刀が数多くいる。
ヒデは研師、そんな刀たちを研ぎ、その嘆きを聞いてやるのだ。

ヒデはひょんなことから隣町近くの古いアパートに出入りする小泉タケと知り合った。ヒデの友人の西野智の育ての親でもあるタケは口外出来ぬ何かを抱えているようで、どうも初期の認知症も抱えていた。
その次の夜、訳ありのそのアパートに再び出向き、そこに現われたメイという若い女とヒデは闘い、無抵抗のまま自ら負傷した。ヒデは鎌倉時代の妖刀『八丁念仏団子刺はっちょうねんぶつだんござし』からこの女との出会いがあるのを事前に聞き、この女とは闘わないことに決めていたのである。
ヒデの態度と悲しき小刀『猫姫』の言葉で謎の若い女メイは今まで感じたことの無い感情が湧き出るのを感じながら、ぽつぽつと話しだした。

メイはこのアパートで生まれ、この万能塀の外に出たことが無いと言った。
物心ついた頃にはアジア人の女性がメイの身の回りの世話をしてくれ、その女性と生活をしていたと言う。その女の国技である格闘技を物心着いた頃から仕込まれ、このアパートの地下にある教室半分ほどのトレーニング室で今も毎日のトレーニングを欠かすことは無いと言った。小柄な少女ではあるがその身体は若鹿のような筋肉の衣をまとい、切れのある手刀も突きもこれまでヒデが受けたことの無いものであった。回し蹴りでも喰らっていたらお陀仏していたかもしれない。ヒデはそう思いながら聞いていた。

ヒデは疑問をぶつけてみた。

「どうしてここにいるんだい?」

それにはタケが口を開いてきた。

「この子は何も知らないんです。ここで生まれ。ここで育ち、この子には何も責任は無いんです」

「責任」がひっかかりながらもヒデは黙って聞いていた。
タケが言うにはメイはここで生まれ、ここから外の世界に出ていけないように洗脳されていると。でも、このままではいけない普通の女の子として生きていけるようにしてやらなければならないと。

認知症のタケがメイを遮り懸命に何かをヒデたちに伝えようとしている。
しかし、ヒデにはまだ分からないことだらけだった。
地下室の入り口に立ち、メイがここで生まれたというのはどういうことなのかを考える。そしてどうしてここ以外を知らないのかを考える。ここで何をやっているのかを考える。
そしてそれを誰がやらせているのか。それが団子刺の言っていた「もう一人つえぇの」の正体なのかを考えるのであった。

そこに地下室の入口から赤ん坊の泣き声が漏れてきた。メイとタケは地下に降りて行き、ヒデと智もその後を降りて行った。そこにあるのはなんとも不可解な、二人には説明を聞かねば想像のつかない場所だったのである。


ひとつどうたちゃひとつどう
ふたつどうたちゃふたつどう
とおくおえどのあささまはみっつかさねてみっつどう

その晩、ヒデの夢に出てきたのは実際には聞いたことの無い数え歌。
子ども達が歌う京の北の里での数え歌であった。

そして、それは次第に赤く染まり始めヒデの夢は赤い夢に変わっていった。

一つ胴断ちゃ一つ胴
二つ胴断ちゃ二つ胴
遠くお江戸の浅様は三つ重ねて三つ胴

と、子どもの声だった数え歌は徐々に野太い男の声に変わっていった。

ヒデは気がつき始めていた。今まで見て来た赤い夢は遠い昔に残してきた遺恨にまつわることであることを、死んだ自身の爺さんから一度だけ聞いた先祖の行なったことが関係していることを。
地下室で見たものはヒデの記憶にはないヒデの赤い血が憶えていることを思い出させたのである。

人の血は洗うことなどできない。時間が経とうとも、たとえ神職に就こうとも血の記憶は消えないのである。
どんなことをしても血の記憶は消すことは出来ないのである。ヒデはそれをこれから知る。これから起きることはヒデにすべてを思い出させ血の記憶に重ねられていくのである。

折れたあばらさらしを巻いて、『八丁念仏団子刺はっちょうねんぶつだんござし』と小刀『猫姫』を携えてヒデは智と智の爺、西野仁志が待つ京都に向かったのである。

長い一日になる。
早い朝、初秋の朝の空気はヒデのそんな血の記憶をほんの一瞬忘れさせてくれるかのようであった。


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