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残された未来

人から頂いた手紙を読み返すことなどほとんどしたことがないのだが、昨年の今頃頂いた二通の手紙が文箱に輪ゴムで一緒にされていた。
時間を置いて読んでみようと文箱に残していたのである。
人生の大先輩から頂戴した手紙の中に『残った未来』という言葉があった。
そして、人の生きてゆく道には精魂を傾け、わが肉を削るほど思いつめ、もっている力のすべてを注ぎ尽くさなければならない出会いがある、とも述べられていた。
もう一通の同時期に届いた手紙には交通事故の後遺症のため寝たきりになってしまった実母の介護のために家族と別居し、一人実家に帰ったと、大学の同級生から近況の知らせがあった。
『わが肉を削るほど思いつめ、もっている力のすべてを注ぎ尽くさなければならない出会い』とは、男としてこの世に生まれてきたのならば、仕事であることが一番理想的であり、合理的ですらある。
しかし、往々にしてそうはいかないのが人生なのであろう。
ふと振り返れば、何のために生きているのであろうとため息の出る人生もある。
でも、それが人生なんだと考えるべきであろう。
目の前にある事を片付けなければ人生は成立しないのである。
そして、どんな結果が待っていようともそこへ向かう過程が大切だと思う。
脇目も振らずその過程では全力を尽くして後悔を残すべきではない。
ようは全て気持ちの問題でもある。『残った未来』を『残された未来』に読み替えることが肝要で、それが出来るのは自分自身だけであることに気付くことであろう。

昨日は仕事が終わり、自分の道場の稽古が終わり、違う道場の稽古会に呼ばれて行ってきた。
指導者ばかりの稽古会を俯瞰して思ったのはそれぞれの合気道が良い意味で独り歩きしているということであった。
人生の中に合気道という小さな人生が存在する。
日々をただ稽古して時間を費やすのではなく、終焉の姿を見つめて稽古し、人に残していかなければならないことと深く感じたのである。

稽古後の久々の『さつま島美人』の水割りは心地よく喉を通過し、痛飲したがこの時間にまったく残っていないのは良い酒、良い時間を過ごせたということであろう。ここにもまた小さな小さな人生があった。


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