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難波の夕に考えた

大阪は難波の夕である。
人と会い自宅に帰る途中、初冬を思わせる冷たい空気の中を少し遠回りをして駅に向かった。

早足で駅に向かうサラリーマン、大声で談笑しながら繁華街に向かう若者のグループ、皆なにかを終わらせてスイッチの切り替えをする時間である。

難波の夕焼けはきれいであった。
それだけで誰もが機嫌良くなれるような天気であった。
明日への活力を蓄えるための元気がここにはある。
そんなふうに思わせるこの難波の街は昼も夜も元気である。

大阪に来てこの難波を独り歩き「ああ、大阪だな」と思ったものである。
50年以上前に兄の難病の診察のために大阪の大学病院までやって来た。
その時間待ちに父がこの難波に連れて来てくれたのだ。
だから私には、この難波は暗く陰気なイメージで踏み入れてはならないエリアだった。

なんの機会でやって来たのかは憶えてないが、来てみて暗い記憶は霧消した。
私のイメージだが、梅田・キタエリアは社用の場であり、全てがそうではないが、きれいすぎる。
難波・ミナミエリアは庶民の街であり、自分の金で酒を飲む場所である。
雑多で小さな飯屋や飲み屋が集まりどれもが個性的である。
そんなどれかが元気をくれる、街を歩くだけで元気を与えてくれる。

本当の大阪人と感覚は違うのであろうが、この30年間での私の感じた大阪である。
『カオス大阪』で暮らし、徐々に大阪人化している自分を感じるが完全に浸りきれる日はやってこないと思う。
今感じている楽しさが変わってしまうような気がする。
あまりに多くのことがこの大阪であったが、いつまでも第三者の目で、観光者のような目で大阪をいつも見てその新鮮を感じたいと思っている。

たまたま写真に写った二人に清々しさを感じた。
夕焼けも、空気も清々しかったが、これが梅田であるとそんなふうに見えないのである。


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