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私の大切な文房具

私の文房具好きには年季が入っている。そこいらのペンショップに負けないほどのペン(万年筆・ボールペン・シャープペンシル)を持っている。
そして、買って仕舞い込んだままのモノは一本も無い。今でこそキーボードに触れている時間が多くなったが、それでも基本は移動中や出先では筆記具と紙のノートかメモ帳、もしくはそこで頂戴するA4のコピー用紙である。
紙はどこに言っても調達できる。移動中であればガムの包み紙でも弁当の包装紙でもいい。打ち合わせ先のどんな場所に行ってもA4のコピー用紙を所望して嫌がられたことは無い。
でも書くもの、ペンが無いと非常に困る。それも借りれば事足りるかも知れないが、「弘法筆を選ばず」てなわけにはいかない、私は弘法ではない宮島ひできである。もともと字は上手じゃないが、そのためのペンではない。私の仕事での御守りのようなものでもあった。

金の絡む打ち合わせでは気合を入れるためにペンを選んで胸ポケットに刺していった。
初対面での打ち合わせでは、第一印象が重要になる。そのために選ぶ小道具でもあった。
全ては私が自身に自信が無いだけのことなのであるが、まあ、私は弘法じゃないからそれでいいと思っている。

そして、自分の事を案外記憶力がいいなと思うのだが、一本一本の思い出を見たら頭に浮かばせることができる。
このヘッダー画像のシャープは20年も前に銀座伊東屋で買ったものである。
買ったが当初はずっと自分の部屋で使っていた。「生意気な若造」と思われるだろうと思っていた。シャープペンシルの高級品に金をかける神経を疑われるだろうと思っていた。私と同種類のわかる人間ならばそうでもなかろうが、一般的には仕事上では好まれないだろう。やっと今の年齢になって持ち歩くようになったのである。

このシャープペンシルは合気道の師範が亡くなった時に求めたものである。
実は師範には電話で話しながら結論の出せないことがあった。まさかそれが最期の会話になるなんて思っていなかったので非常に悔やまれたのだ。葬儀に参列し、疲れ果てて大阪に戻る前にいつものごとく伊東屋に立ち寄り衝動買いした私にとっては特別な一本なのである。
いつも手に取ると師範を思い出せる一本なのである。

金の使い方、モノの価値感は個人の自由であって、それぞれであろう。私が好きなモノ、大切にするのは文房具くらいである。女性がジュエリーを身につけるのにある意味似ているような気がしないでもない。
万年筆はどうも暑くなってくると汗かきの私に外出時には向かない。これからはシャープペンシルか鉛筆の登場なのである。
「されどシャープペンシル」、それが私のシャープペンシル愛、文房具ラブなのである。

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