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なんでもない夜

八尾の夜は更けていった。
いつものなんでもない夜は更けていった。
不思議である。
休みの一日、大したことをするわけでもなく、近所に自転車で出かけ、だらだらと寝たり起きたするだけでも腹が減る。
そして、飯の仕度をしてボソボソ食う。
そんな日は特に酒も飲みたくなくボソボソ飯を食いつつ夜は更けていった。
あとどれだけこの営みを続けるのであろうか。
陽は昇り、陽は落ちる。
そして月は昇り私を照らす。
二人は黙って一日の営みを繰り返す。
永遠のように思える彼らの営みも有限である。
その有限と較べようもない短い、ほんの瞬間を生きる私は永遠を生きるように勘違いをする。
ああ長く生きたと勘違いをする。
なにかやらねばならぬことがあれば足らぬ時間。
なにもやることが無ければ長すぎる時間。
でもそれも五十歩百歩の世界なのかも知れない。
どちらの時間も実は長くはないのである。
だから時には深く物事を考えるのはやめてなにもせずになんでもない夜を迎えなければならない。
1把158円のホウレン草のバターソテーは私の胃袋に収まり、人生を終えた。
日々、小さな生き死にと隣り合わせにいながらそんなことは分かっているよと、誰かに言われた時だけしたり顔で言う私がいる。
なにも分っちゃいないくせに分かったふりをする私がいる。
そして、そんなことも気付く余裕などなくひたすら走り続けた私がいた。
そんな毎日があって今があるのである。
意識すれば特別な夜になるなんでもない夜。
でも今日は普通のなんでもない夜でいいのである。
こんな夜が一番しあわせなのである。
八尾の夜は更ける。
いつものなんでもない夜は更けていく。

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