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月見酒で思い出す

高校時代のことである。
おかしな話だが、私の感覚でこの頃の同級生には風流を解する男が多かった。

愛知県の県立高校、住み始めた町内の田んぼの真ん中に高校は新設された。
その頃、人と話したくなかったのと家には障害を持つ兄が一人でおり、何かあれば家に近い方がよかろうと思いその新設校に願書を出し、入学した。
新一年生1クラス40人が4クラス、160人だけの高校生活を一年間送ったのである。

その中の数人が非常に個性的でいまだに記憶に残っている。

一人は私がいない高校一年の夏休みのある日「ひでき君いますか?」とやって来て母を驚かせた。
真夏の8月の炎天下に黒のブーツにジーパン、素肌に黒の革ジャン、頭は当然ポマードベタベタのリーゼントであった。
外見で人を判断しなかった母が私にボソッと言ったのは「ひでき、あの子暑くないの」であった。
たいていの同級生は私がいなくとも上がり込んでお茶を飲んで母と話をして帰って行った。

彼のお父さんは売れない小説家だった。
世間一般で言えば不良の彼はいい友達だった。
高校卒業後すぐに就職した先が当時の電電公社だった。
豊橋の電電公社のすぐそばの公社御用達の飲み屋でおごってもらった。
19歳の私たちは赤味噌のモツの煮込みを肴にゲロを吐くまで飲んだ。

もう一人は今も付き合う豊川沿いの農家の息子、苗字からも想像できる昔からのその一帯の地主の息子だった。
趣味は歴史、今行っても難しい古文書を読んでいる。
全国統一模試を受けるとこの男は日本史だけいつも全国で1番か2番だった。
私はこの男が2番の時にはこんな変わった人間が他にもいることになんだか感に入った。

あとは私の真の意味での親友と呼べる男であった。
優秀な男であったが、大学2年で早逝してしまった。
今でも悔やまれる男である。

中秋の名月の次の晩、十六夜の晩に酒を飲み三人を思い出した。
三人とは高校時代からともに酒を飲み将来を語った。
三人ともジャンルは違うものの本が友だちだった。

そしてなぜか李白の『山中与幽人対酌』を思い出していた。
人里を離れて住んでいるところにやって来てくれた友と酒を飲む。
それが
一杯 一杯 また 一杯
なのである。

もう会えないヤツ、会おうと思えば会えるヤツ、半世紀近く前と状況は変わってしまったが、酒を飲める機会があるならば真剣に飲みたいと思う。

でも、月見酒は一人が似合うであろう。
あいつらもそんなことに思いを馳せてきっと一人でこの丸い月夜の晩に酒を飲んでいるに違いないと思った。

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