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合気道の稽古の前に  

稽古に行く途中、稽古場近くの公園を通りかかって思った。
木は葉を枯らすが春また新しい芽を吹く。
よく見れば固い小さな芽が木の先々に付いている。

私が子どもの頃より寒くないと思うのだが、最近寒さが気になるようになってきた。歳かな、とここで書くと同年代の先輩諸兄より叱られるから書かない。(いや、もう書いた、、)
風邪はめったに引くことはこれまでなかったが、自己防衛の働く身体になってきたのだと思う。無理せず細く長く、という事だろうか。
木は老いても春に新しい芽を吹く、人間のそれは何なのだろうと考える。

それを考えていると人間の方がうまく出来ているように思った。人間は春を待たずとも思った時に芽を吹かせることが出来る。そのタイミングは積み重ねた本人の努力なのか、たまたま巡って来たものをうまく捕まえるものなのか、様々なのも木より人間の方がうまく出来ている。
人間の春はいつでも来ると考えるとやはり人間に生まれてきてよかった。

子どもの頃、水木しげるの漫画に没頭した時期がある。
『こだま』って妖怪がいた。
山奥からおーい、おーいと叫び、その声に惹かれて辿り着いてしまった人間はその『こだま』にだまされ、入れ替わってしまうのである。『こだま』には足は無く足の代わりの根っこが地に続いている。そして次の交替者が来るまでずっとそこに立ったままなのである。それが『木霊』こだまの正体なのである。
子供心に一週間くらいなら立っているのも面白そうだなぁと思ったのを憶えている。でもいつ巡って来るか分からぬ時間を待つのは辛い、やはり自分で春を掴める人間でよかったと思う。

と、おかしなことを考えながら歩いていたら稽古の始まる時間は過ぎていた。
今年も稽古が始まった。

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