見出し画像

春に向け思う「未来を信じ、未来に生きる。」

かつて大学を卒業して、ゼネコンに入社した時に大学で経験した四年間をワンサイクルとして考えて四年後には辞めてステップアップを考えようと思ったこともあった。
しかし、世はバブルそんな悠長な考えが通用する時代ではなかった。
とにかく忙しかった。
残業も100時間で済むならありがたい日常だった。
休みはなく朝8時から建設現場では朝礼が始まり、夜職人さんが皆帰ったのを確認し、それから事務作業をして日付の変わる前に車で祇園の駐車場に向かい晩飯を食い、なんとなくクラブに行かねばならぬようないつものルーチンで皆でなだれ込む。フラフラで運転して帰り、翌朝皆朝礼でラジオ体操をしている。
皆が若くて元気にあふれる時代だった。

その頃、京都の南部である私学がキャンパス建設を進めていた。そこの一工区の仕事の手伝いにも行かされた。
東京で学生生活を送った私にはどんな学生がこんな田舎で生活するのであろうと不思議でならなかった。地元の建設業者たちは自身の土地に学生寮を建てて開学を手ぐすね引いて待っていた。でも案の定、多くの学生は京都市内に居を見つけアルバイトをし、街中での生活に浸り近鉄電車に揺られてキャンパスに通う選択をした。どの業者もぼやいていたが仕方が無い、その後ずいぶん家賃を下げて入居者を増やしていたように記憶する。

学生生活のある時期を学業だけで成り立たせてはならないのでは、と思う。社会に出て行くための学生生活と考えれば、セットになるものが必ずあるんじゃないかと思う。それまで送ってきた親の庇護のもとでの義務教育、高校生活の延長ではいけないのではないかと思う。
親が一生知ることのない初めての一人での生活には、悩みも友人との夜を徹しての熱い会話も恋愛も喧嘩も、そして別れもあるべきだともう。
そんなスタイルがすべてじゃないが、そんな大人への変身の仕方もあると思う。
初めてその建設現場に行った時に感じたことである。

それから時間は経ち、違うある私学は京都を離れた。人口減少に伴い必然的に起きる少子化に対応するべく。客である学生獲得のために大阪府内にキャンパスを新設した。大学も商売で考えなければ生き残れない時代に突入しているのはよく理解する。でも、何かが欠けてしまうように思った。せっかくの京都が欠けてしまうようにも思った。京都市内に残るのは歴史ばかりではないが、その歴史も大いに影響して多くの生活の場を生んでいる。
「未来を信じ、未来に生きる。そこに青年の生命がある。」この学校でいつも見かけたこの言葉に私は感じ入るところがあった。
あってはならない戦争に駆り出されるのは若者である。しかし、起きてしまった事実、歴史は変えようがない。だから忘れてはいけないのである。だから二度と同じ悲劇は引き起こしてはいけないのである。
今の若者たちは、日本という祖国の犠牲となり、したくとも出来なかった歴史の影に隠れた若者たちの青春も謳歌しなければならないのである。そんな重い大きな使命を背負った若者たちには自然もいいが人生のある一部分を泥臭く洗練されない学生街での人情劇も経験してバランスの取れた大人になって欲しいのである。

私の自身の生き方を押し付けようというのではない。何かが欠ける今の世を目の当たりにして、思い考え反省しているだけである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?