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暑い日の記憶

暑さと胸苦しさで太郎は遅い午後に目が覚めた。
夜勤明けの稽古はそろそろきつい年齢になっている。
胸は苦しいはずである。起きぬ太郎を目覚めさせようとタマは太郎の胸に乗って太郎のあごをそのザラザラした舌で舐めていた。
そんな暑さと胸苦しさは太郎を40年前の練馬区に飛ばしていた。

1983年昭和58年のゴールデンウイークに太郎は帰省をすることも無く、飲み屋の店員のアルバイトに行く前に大学まで筋トレをしに行った。
テレビを持たない太郎は珍しく部室にあるテレビをつけていた。
たぶん、いつもは先輩後輩でごった返す部室でひとり体の汗をぬぐっているのが寂しかったのである。
そして、ぼんやりながめるテレビから驚く映像が流れてきた。

牧田智子、まだその時19歳だった。
強姦目的の同年齢の少年に絞殺されたのである。
そんなニュースが流れたのである。
木造二階建てのアパートに住んでいた智子は記録的なスポットでの猛暑のためその晩窓を少しだけ開けて寝ていた。そこに雨樋をつたって部屋に上がり込んだ計画的なものであった。その少年は乳児院と養護施設で育ち、母親を知らずひどいいじめの中を生きて来たそうである。
そんなよくある事情はどうでもよく、若い女性の命が太郎の知らないうちに奪われていたのである。

アルバイトが終わり、自分のアパートに向かった太郎は部屋の前に立つ裕美を見つけた。

裕美は智子の英会話のサークルの先輩である。太郎と同学年、同じ学部であったが口をきいたことは無かった。
隣の駅近くにある某百貨店の配送所のお中元に向けての集団アルバイトがあり、大学の運動部も文化部もごっちゃになってその時期と年末だけ働いて夏合宿、春合宿の費用にするのがどのクラブでも恒例行事になっていたのだ。

太郎と裕美、智子は同じ部署でタオルのラッピングをやっていた。
こんなことでもなければ太郎が大学四年間で出逢うような女性たちではなかったのである。
休憩時間にたわいもない話をするのが楽しかった。合気道部以外の女性と話などする機会はほとんどない太郎との会話は裕美たちも新鮮だったようである。
それ以上発展するような流れは無く、ただそれだけだった。
それは太郎の青春の1頁としていつまでも楽しい記憶として残るはずだったのである。

裕美は太郎の部屋の前、裸電球の下で立って泣いていた。
同級生に太郎の部屋を聞きやってきたと言う。
一人でいることが出来なかったと言って泣いた。
一緒に泣きたい気持ちであったが太郎は我慢して裕美の話を聞き、徒歩1分の駅まで送った。

これだけの事実と記憶である。
こんな悲劇は太郎の知る事ばかりではなく世界中で日常茶飯事に起きていることであろう。
幾千万、億単位、それ以上で生まれてきた悲劇はいったいどこに行くのだろう。
人の記憶は死んでしまったその後にどこにしまわれているのだろう。
消えてなくなってしまうものとは到底思えないのである。


当時の大学の部室は学生会館の6階(最上階)にありました。柔道・剣道・空手・合気道だけ優遇された広い部室を使わせてもらってました。冬にはこたつ、卒業された先輩方が家財道具を置いていってくれるので生活には困りませんでした。寒い日には小さい富士山を見ることが出来ました。

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