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生きるためにやって来た仕事のはなし

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なかなか理想を仕事とすることは難しいもの、食べるため、生きるためにしてきた私のサラリーマン人生です
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#京都大原野

ほたるのはなし

季節外れのはなしで申し訳ない。 暑い暑い夏の夜に飛び交う『蛍』のはなしである。 note の『傘わっしょい』さんの短歌が好きで、毎晩一首づつ読ませてもらっている。 その中にある昨年末の短歌が私の記憶の引き出しに手を掛けた。 短歌 壁ホタル 人感センサーライト センサーの狂ひし蛍のやうにしてわれはありなむたれからもひとり の『狂ひし蛍のやうにして』とセンサーを蛍に比喩されているのだが、たった一度だけのこと、それも生まれて初めてたくさんのホタルの群れに包まれたことを思い出

私の人生の軌跡(ゼネコン営業マン編)『たけのこの思い出』

もうずいぶん以前になるが、ゼネコンで営業マンをやっていたことがある。 建設業は決まった製品を作り売る製造業とは違う。何もないところに事業や建物を構想して一から作り上げていくのである。 「まずは土地ありき」と思われがちであるが、そうばかりではないのである。 どのゼネコンも官民の担当を分けていた。飲み食いが当り前の民間営業と官庁営業を一緒にしてしまうと贈収賄にもつながりやすく、第三者の目から誤解を受ける可能性もある。だから分けられていた。しかし、きちんと分けれるのは本社や支店の営

日記のような、びぼーろくのような(2023.3.15 京都大原野の春のひろがり)

一昨日、京都は大原野にある放置竹林整備のNPO事務所まで出かけた。 盆地の京都市内は夏は暑く、冬は寒い。三年間京都市内で暮らしたが、旅行に来る場所であって、居を構える場所ではないと京都の皆さまには申し訳ないがそう思った。 この大原野は西京区大原野である。あの三千院のある大原は左京区大原、勘違いされる方が多い。私たちが事務所を置いているのは西京区大原野小塩町(にしぎょうくおおはらのおじおちょう)である。 ちなみにこの西京区を「にしきょうく」と清音で発音される方がいるが正しくは「

放置竹林整備についてかんがえる

かれこれ二十年以上京都でお付き合いさせていただいている行政OBが理事長を務めるNPOの事業のお手伝いをしています。 と言っても、家族の介護や看病であまりに忙しくなり、加えて流行り病、今、私は全く何もしていないのですが、、 直近では、と言いながらもすでに三年前の今頃、嵐山の竹林整備が進んでいるから見に来いと言われ行ってきたのが現場でお会いした最後です。 私より10歳年上、50歳で現役を、いろんなことがあって辞めてしまいました。 現役時代にはいつも夜な夜な祇園のクラブでお会い