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生きるためにやって来た仕事のはなし

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なかなか理想を仕事とすることは難しいもの、食べるため、生きるためにしてきた私のサラリーマン人生です
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#男の仕事

ほたるのはなし

季節外れのはなしで申し訳ない。 暑い暑い夏の夜に飛び交う『蛍』のはなしである。 note の『傘わっしょい』さんの短歌が好きで、毎晩一首づつ読ませてもらっている。 その中にある昨年末の短歌が私の記憶の引き出しに手を掛けた。 短歌 壁ホタル 人感センサーライト センサーの狂ひし蛍のやうにしてわれはありなむたれからもひとり の『狂ひし蛍のやうにして』とセンサーを蛍に比喩されているのだが、たった一度だけのこと、それも生まれて初めてたくさんのホタルの群れに包まれたことを思い出

生きるためにやって来た仕事(そこで出会った人たち その5)焼うどんの思い出

ゼネコンに入社して二年目ぐらいだろうか、まだ右も左も分らないまま建設業の事務に頭を悩ませていた。 そんな時である。 やっと『半ドン』の制度が会社にもやって来た。 今のお若い方はご存じないだろう、今のような週休二日などまだ夢の話の時期に、世の中の多くの会社の土曜日の営業は午前中だけになったのである。 8時半に始業の会社だった。午前中の三時間ほどでやれる仕事は限られている。身の回り、机の引き出しの整理などしていた。皆、この半ドンを楽しみにしていた。 いつもより丁寧に女性社員が

生きるためにやって来た仕事(そこで出会った人たち その4)

実はこの話、私がnoteにやって来てまだ間もない昨年2月に記事といたしました。 その時おひたちさん、きゃらをさん(あいうえお順)から初めてオススメをもらい、大変嬉しかったことを記憶しています。 仕事師には分かってもらえるなぁ、と一人悦に入りました。 モーレツな上司の営業部長は大阪支店のみならず、会社を代表する建築作品をいくつも世に残す営業をやっています。 それをすべて自分一人の力だと人に知らしめたい、そんな薄っぺらなところがあったのです。 それをせずとも、言わなくともその部

酒を飲み考えていること

この男、よく酒を飲む男である。 しかしながら以前からただ酒を飲む男ではなかった。 まわりの話をよく聞く。 厨房の店員の動きや板場の調理人の手さばきを見る。 酒を味わい、料理を楽しみ、季節の移ろいを感じながら人生の縮図を感じとって酒を飲むのであった。 昨日も飲みながらいろいろ考えていた。 この男の付き合いは濃い、とことん付き合う。 だから、裏切られることも少なくはなかった。 無駄に時間を過ごしてしまったことに悔いてはいたのだろうが、裏切ったわけではないからそれでよかったと頭の

生きるためにやって来た仕事(そこで出会った人たち その3)

建設業界で30年以上メシを食わせてもらって来た。 ゼネコンでの営業10年の最後の一年間だった。 京都営業所に事務時代を含めて二度目の赴任、片道切符で大阪支店から出された京都営業所の所長は百戦錬磨の黒い噂のある所長だった。 しかし付き合ってすぐに多くを語らぬことにそんな噂のもとがあることは理解できた。 私は自由に動き回り、その所長に好きなように仕事をさせてもらった。 中国地方の営業課長から「ここで世話になっている社会福祉法人の理事長が兼務している京都の衛星都市の障害者施設で

生きるためにやって来た仕事(そこで出会った人たち その2)

長い前段、その時どういう時代であったか 一昔前のゼネコンの世界、建設業の世界は古い体質のもとに成り立っていた。 第二次世界大戦後、敗戦国の日本、あちらこちらが焼け野原だった日本を復興させ、世界経済の中心にまで登り詰めるには建設業の存在はなくてはならないものであった。 破壊されたインフラの整備、経済大国日本を目指し各産業を育てるには発電のためのダムも、物流のための高速道路や鉄道もそこで働く人たちが安心して住むことの出来る住宅も必要だったのである。 昭和60年(1985年)、

生きるためにやって来た仕事(そこで出会った人たち その1)

ゼネコン時代、二度目の京都営業所での思い出である。ここで出会った所長には多くのことを教えてもらい、多くの人に会わせてもらった。 発注者、受注への協力者、協力業者(下請業者)、そして多くの発注者となるかもしれない人たちに会わせてもらった。 一つ仕事を受注するのに登場人物は多い。 そして、仕事を受注するたびに付き合いは増えていくのである。 その所長の大阪支店での噂は良くなかった。 「仕事は出来るが、、、」 と言うのが多かった。 しかし付き合ってよくわかった。 余計

JR西日本 大阪環状線天満駅

大阪に流れ着いてもう35年にもなる。 ずっとやってきた営業という仕事柄、電車にはずいぶんお世話になった。 JR、私鉄、 地下鉄、関西一円で降りたことの無い駅は多分無い。 どの駅にも降りた。当然用があって降りたわけでその理由は仕事ばかりではなくプライベートもある。 いろんな思い出がある。 楽しかったこと、悲しかったこと、いろんな思い出がある。 そんな思い出をこれから時々、一駅ごとに綴っていこうと思う。 まずはJR大阪環状線、大阪駅の隣の『天満駅』、このJR天満でまず思い出す