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生きるためにやって来た仕事のはなし

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なかなか理想を仕事とすることは難しいもの、食べるため、生きるためにしてきた私のサラリーマン人生です
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2022年9月の記事一覧

生きるためにやって来た仕事(そこで出会った人たち その2)

長い前段、その時どういう時代であったか 一昔前のゼネコンの世界、建設業の世界は古い体質のもとに成り立っていた。 第二次世界大戦後、敗戦国の日本、あちらこちらが焼け野原だった日本を復興させ、世界経済の中心にまで登り詰めるには建設業の存在はなくてはならないものであった。 破壊されたインフラの整備、経済大国日本を目指し各産業を育てるには発電のためのダムも、物流のための高速道路や鉄道もそこで働く人たちが安心して住むことの出来る住宅も必要だったのである。 昭和60年(1985年)、

ゼネコンがあんがい昔からSDGsだった話

この話はフィクションであり、事実に基づくことの無い架空の話です。太郎の育った業界 ゼネコンとは総合建設業、『General Contractor』の略です。 建築、土木はもとよりそれに伴う資機材の購買から新開発まで、そして一連に携わる『人』の育成まで行う建設を一から十まで考え行う業界です。 そしてこのゼネコンは世間が今ほど『サステナビリティ』なんて言葉をもてはやす以前からそんなことを考えながら仕事をしていたのです。 太郎は何も知らぬままにそんな世界に飛び込み自身の半生を

生きるためにやって来た仕事(そこで出会った人たち その1)

ゼネコン時代、二度目の京都営業所での思い出である。ここで出会った所長には多くのことを教えてもらい、多くの人に会わせてもらった。 発注者、受注への協力者、協力業者(下請業者)、そして多くの発注者となるかもしれない人たちに会わせてもらった。 一つ仕事を受注するのに登場人物は多い。 そして、仕事を受注するたびに付き合いは増えていくのである。 その所長の大阪支店での噂は良くなかった。 「仕事は出来るが、、、」 と言うのが多かった。 しかし付き合ってよくわかった。 余計